上恵土城(かみえど)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不詳
 遺構  : 土塁、堀跡
 交通  : JR太多線、名鉄広見線可児駅徒歩20分


       <沿革>
           築城の経緯については不明である。
           織田信長の時代に、長谷川五郎右衛門なる人物が城主であったとされる。五郎右衛門は、
          天正十年(1582)の本能寺の変に乗じて森長可の居城兼山城(金山城)に攻めかかり、逆に
          滅ぼされたとされる。これ以降の上恵土城の動向については定かでない。


       <手記>
           上恵土は木曽川と可児川に挟まれた高台にあります。城のすぐ北には中山道(東山道)が
          走り、その北は木曽川の河岸段丘が落ち込んでいます。
           城の主郭部と推定される地点の外周には、土塁と堀跡と思われる遺構が部分的に残って
          います。また、御嵩町の「中山道みたけ館」には、上恵土城の縄張りの推定図が展示されて
          います。多少立派に描かれすぎているようにも思いますが、それによれば城の北端は可児
          御嵩バイパスの上恵土交差点付近に及んでおり、交差点のすぐ脇には同じく土塁や堀跡の
          ような遺構が認められます。


           
 土塁、堀跡。
主郭推定部。 
 上恵土交差点脇の土塁・堀状遺構。


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