上本郷館(かみほんごう)
 別称  : 風早氏館
 分類  : 平山城
 築城者: 風早胤康
 遺構  : 土塁か
 交通  : 新京成電鉄上本郷駅徒歩3分


       <沿革>
           源頼朝に従って活躍した千葉常胤の六男東胤頼の四男四郎胤康は、風早郷に入って風早氏
          を称した。上本郷館は胤康の居館として築かれたと伝わる。『吾妻鏡』には、承久三年(1221)
          の承久の乱における宇治川の戦いで、「風早四郎」が敵を討ち取った記述がある。
           風早氏は、胤康の曾孫貞泰を最後に史料から姿を消した。南北朝時代に入り、風早郷は風早
          荘として、香取神宮領の荘園となっていたことが確認できる。あるいは、鎌倉幕府滅亡や南北朝
          の動乱に巻き込まれ、風早氏も滅んだものとも推測される(貞泰の名は執権北条貞時の偏諱を
          受けたものと考えらえている)が、詳細は不明である。
           館跡に建つ風早神社の社伝によれば、同社は風早荘の総代社として香取神宮と密接な関係
          にあったとされている。したがって、風早荘の成立とともに館も廃されたものかと考えられる。


       <手記>
           上本郷館跡とされる風早神社は、坂川および江戸川の河岸段丘が深く入り込んだ先の辺縁に
          位置しています。崖端ではあるものの、周辺よりもとくに要害性に優れているというようには感じ
          られず、鎌倉時代の開発領主の居館という以上のものではなかったと思われます。
           神社の参道階段下の大通り沿いに、神社の由来について書かれた立派な石碑があり、そこに
          風早氏とその居館についても触れられています。
           境内西辺には土塁状の土盛りがありますが、館の遺構とは…ちょっといえないように感じます。

           
 風早神社。
 参道下の石碑。 
 土塁状の土盛り。


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