上野城(うえの)
 別称  : 秋田城、秋田館、上植野城
 分類  : 平城
 築城者: 秋田氏か
 遺構  : なし
 交通  : 阪急京都線西向日駅徒歩5分


       <沿革>
           『野田泰忠軍忠状』に、泰忠ら東軍の将兵が応仁二年(1468)に「秋田館上野」に陣を張った
          ことが記されている。このころに国人秋田氏が存在したことが確認されていることから、秋田館
          は同氏の居城とみられている。しかし、応仁の乱以降の秋田氏については不明である。
           江戸時代前期に著された『雍州府志』には、西岡三十六人衆の1人上野氏の居城「上野城」
          として記述がある。秋田館と上野城は同一の城館を指すものと考えられているが、上野氏の
          実在については明らかでない。
           なお、城跡に建つ持泉寺の寺伝として、坂上田村麻呂の屋敷跡とするものがある。この伝承
          は、明治時代の調査のときに持泉寺住職の口から伝えられたものとされるが、にわかには信じ
          がたい。


       <手記>
           上野城は、持泉寺とその南側一帯にあったとされ、古地図には寺の南に逆L字型の土塁が
          記載されています。今日では寺の南側は公営住宅となり、残念ながら土塁は残っていません。
          ただ、東側から望むと館跡一帯が微高地になっていることが分かります。

           
 城跡とされる持泉寺。
近年まで土塁と堀があったとされる持泉寺南の公営住宅。 


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