笠置寺(かさぎでら)
 別称  : 笠置城、笠置山
 分類  : 山城
 築城者: 不詳
 遺構  : 行在所跡
 交通  : JR関西本線笠置駅徒歩45分


       <沿革>
           元弘元年(1331)八月二十四日、後醍醐天皇は鎌倉幕府軍の包囲を掻い潜って京を脱出し、
          笠置寺に拠って挙兵した。翌九月、執権北条高時は一族の大仏貞直・金沢貞冬を大将とする
          討伐軍を差し向けた。
           『太平記』の数字では、幕府軍7万5千に対して天皇方は3千と圧倒的な戦力差があったが、
          天険を活かして1か月近く持ち堪えた。しかし、九月二十八日の夜半に、幕府方の陶山義高・
          吉次兄弟や小見山次郎ら50名ほどの決死隊が風雨に紛れて奇襲をかけ、伽藍に火を放った
          ことにより、混乱の末に笠置寺は焼け落ちた。後醍醐天皇は捕えられ、隠岐へ流された。


       <手記>
           後醍醐天皇が立て籠もったことで知られる笠置山は、国の史跡および名勝にも指定されて
          います。ひと月近い攻防戦が繰り広げられたとはいえ、とくに城砦化されていたわけではなく、
          あくまで比叡山を目くらましにこちらの山岳寺院を頼ったということのようです。
           訪れて初めて知ったのですが、笠置寺は元弘の乱以降は勢いを取り戻すことはなく、明治
          九年(1876)に再興された際には狐狸の棲む無住の荒れ寺となっていたのだそうです。今日
          では麓からの道路もしっかり付いており、すっかり観光・登山のスポットとなっています。見学
          には拝観料のほか、車なら駐車料金も必要です。
           笠置山は要害の岩山で、山内には天皇の行在所跡をはじめ、法螺貝を吹いて士気を鼓舞
          したとされる貝吹き岩や、重心が中央にあるため人力でも動かしやすく、武器として運ばれた
          というゆるぎ石などがあります。行在所とゆるぎ石の間には、二の丸と呼ばれる平場もあるの
          ですが、現地説明板にもあるとおり当時そのような呼び方が一般的だったとは思えず、後世
          の呼称でしょう。基本的には城跡を訪ねるというより、巨岩奇岩の景勝を見学して散策すると
          いった感じです。
           境内登り口から道路を少し下ると、一の木戸跡と呼ばれる箇所があります。ここは、天皇方
          で三河国足助出身の足助次郎重範が奮戦した場所とされ、説明板や顕彰碑が立っています。
          ここも遺構というわけではありませんが、ハイキングコースの一部ともなっており、戦跡として
          往時を偲ぶことのできる数少ないスポットの1つといえるでしょう。

 笠置山を望む。
行在所跡を見上げる。 
 行在所跡。
二の丸と呼ばれる平場。 
 ゆるぎ石。
貝吹き石。 
 山上からの眺望。
一の木戸跡。 
 木戸跡脇の足助重範公奮戦趾碑。


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