柏原城(かしわばら)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 長尾景春か
 遺構  : 堀跡
 交通  : JR吾妻線祖母島駅徒歩25分


       <沿革>
           永正六年(1509)、山内上杉憲房に居城白井城を攻められた長尾景春は、敗れて柏原城へ
          逃げ込んだ。翌七年(1510)、長森原の戦いで憲房の養父顕定が敗死すると、景春は白井城
          の憲房を攻めて城を奪還した。
           永禄八年(1565)、武田氏の侵攻により白井城が落ちているため、柏原城も同様に占領され
          たものと考えられる。歴史群像シリーズ『戦国の城(上)』では、このとき白井城主長尾憲景は
          柏原城ないし八崎城へ逃れたものと推測しているが、吾妻から白井への侵攻ルート上にある
          柏原城が無事であったとは考えにくい。
           天正元年(1573)、上杉氏の援軍を得て白井城を奪還した憲景は、次いで柏原城の奪還を
          図った。憲景は、城将湯本左京進や植栗河内守を逐って城を攻め落とし、吉里・野村・飯塚・
          福島らの諸氏を置いた。同八年(1580)、真田家臣海野幸光によって攻め落とされたとされる。
           その後、時期は不明だが、白井長尾氏が柏原城を回復している。おそらく、天正十年(1582)
          に武田氏が滅び、代わって進出した織田家臣滝川一益に憲景が従った頃のことと推測される。
          同十八年(1590)の小田原の役までは使用されていたようだが、戦後廃城になったものと考え
          られる。

       <手記>
           柏原城は、吾妻川と沼尾川の合流点に突き出た、峻険な丘陵上にあります。この沼尾川を
          遡っていくと、かの伊香保温泉に至ります。
           丘陵の先端部に本丸と二の丸が連なっていたようですが、現在は産廃処理場として完全に
          崩されてしまい、消滅してしまっています。二の丸の北西隣に字根小屋と呼ばれる第三郭が
          ありますが、ここには根小屋温泉センターが建設され、やはり城の遺構を確認することは困難
          です。根小屋の曲輪の南西隅付近とみられる城山稲荷神社が、さびしげにぽつんと鎮座して
          います。
           そんな柏原城の貴重な遺構といえるのが、城の南から二の丸の脇を登って西へ抜けていた
          とされる古道です。とくに、二の丸西側の旧道付近から登っていく部分は、深い堀底道となって
          何度も喰い違いに折れながら丘陵頂部へ達しています。間違いなく城に付随する防衛施設の
          一端であり、この古道を扼することが柏原城の大きな役割の1つであったものと考えられます。
          おそらく、この古道はかつての日影街道かそれに準ずる脇往還だったのでしょう。
           また、丘陵全体の付け根にあたる岡崎交差点の脇にも、民家の間に堀跡と思われる遺構が
          見受けられます(上の地図の緑線部分)。広義の柏原城の西端になるものと推測されますが、
          長尾氏の造作とすると少々規模が大きくなりすぎるように思えるので、あるいは北条氏の影響
          下で構築されたものとも考えられます。

           
 対岸の田野城址付近から柏原城址を望む。
城山稲荷神社。 
 字根小屋の根小屋温泉センター。
堀底道となっている古道の遺構。 
 喰い違いに折れている古道のようす。
西端の堀跡と思しき箇所。 
 字根小屋先端部付近からの眺望。


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