烏森城(かすもり)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 杉原長房か
 遺構  : なし
 交通  : JR関西本線/近鉄名古屋線/市営
      地下鉄東山線八田駅徒歩5分


       <沿革>
           「尾張志」によれば、城主は杉原伯耆守長房で、東西36間・南北31間の規模が
          あり、総構えを有していたとされる。長房は豊臣(羽柴)秀吉の正室である北政所
          の母方の従兄弟にあたり、天正二年(1574)に近江国で生まれたとされる。当時、
          長房の父家次が仕えていた秀吉はすでに一国一城の主となって尾張国を離れて
          おり、長房が烏森城を築いたとするならば、織田信雄が改易となった天正十八年
          (1590)以降のことと類推される。
           長房は、慶長元年(1596)に木付城を与えられていることから、遅くともこのとき
          までに廃城となったものとみられる。


       <手記>
           愛知県の遺跡地図によると、烏森天神社付近から大通りを挟んだ南西側までの
          あたりが烏森城跡に比定されています。現地には、とくに遺構や案内などはありま
          せん。
           古地図にもそれらしいものは見当たらず、集落もさほど大きいとはいえず、本当
          に長房の城があったのかどうか、私としては甚だ疑問です。尾張志には総構えが
          あったように記載されていますが、とてもそんな規模の大きな城があったようには
          思えません。
           あるいは家次の代であれば、秀吉の出身地中村に近いということもあり、杉原
          氏の居館が営まれていたとしても違和感はないでしょう。一説には、家次は連雀
          商人という行商人の出ともいわれています。もしそうであれば、佐屋街道に面した
          烏森に拠点を構えるというのも頷けます。

           
 烏森天神社。
烏森城跡比定地周辺現況。 


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