堅田陣屋(かただ)
 別称  : なし
 分類  : 陣屋
 築城者: 堀田正高
 遺構  : なし
 交通  : JR湖西線堅田駅よりバス
       「堅田出町」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           大老を務めた堀田正俊の三男正高は、元禄十一年(1698)に佐野藩から近江滋賀郡・高島郡内
          1万石へ移封され、堅田に陣屋を築いた。堅田は、浮御堂などを中心に古くから水運で栄えていた。
          堀田氏は、陣屋建設にあたり予定地の民家に80両を支払って移転させたとされる。
           6代藩主正敦は、仙台藩主伊達宗村の八男で、先代藩主正富の養子となった。正敦は、若年寄
          に就任して活躍し、文化三年(1806)に3千石を加増された。また、藩主の早世が相次いだ仙台藩
          や、病弱であった本家にあたる佐倉藩主堀田正愛の後見役として、両家の存続に貢献した。
           文政八年(1825)、正敦は旧領の佐野へ移封となり、堅田は天領となった。堅田陣屋も、このとき
          に廃された。


       <手記>
           近江八景のひとつ「堅田落雁」で知られる名勝浮御堂のすぐ北隣にあった陣屋です。遺構はとくに
          ありませんが、きれいで分かりやすい説明板が建てられています。
           堅田の町内をめぐる水路や民家の石垣、車では通りにくい入り組んだ道割りなどに、藩政時代の
          名残がみられます。
           
           
 堅田陣屋跡の説明板。
満月寺浮御堂。 


BACK