片山館(かたやま)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 堀、土塁か
 交通  : 東武東上線朝霞台駅よりバス
       「片山小学校」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           『中世城館調査報告書集成』に鎌倉時代の城館跡として記載があるが、詳細は不明である。
           鎌倉時代初期、この地を本貫とする片山氏が存在したとされる。片山氏は平姓を称してしたようだが、
          詳しい出自は不明である。承久四年(1222)、承久の乱の戦功として片山右馬允広忠が丹波国和知荘
          の地頭に任じられた。時期は不明だが、13世紀末ごろまでには、片山氏は和知荘へ移住していたもの
          とみられている。片山館について、この片山氏との関連も考えられるが、詳細は明らかでない。


       <手記>
           法台寺周辺が館跡とみられています。法台寺は、時宗二世の他阿真教上人の開基とされ、他阿上人
          自身も徳治元年(1306)に片山の地を実際に訪れたと伝えられています。したがって、片山自体はそれ
          以前から黒目川沿いに拓かれていた土地であったと考えられ、片山氏の居館があったとしても不思議
          ではありません。また、法台寺の開基が徳治元年とすると、片山氏の本家が丹波国に移ってからそう
          遠くない時分ということになり、片山に残った一族が館の余った敷地を寄進したとする推測も、成り立つ
          ものと思われます。
           寺の本堂の裏手は、堀と土塁状に凹んでおり、遺構のようにも見えます。ただし、ここには江戸時代の
          富士講で作られた築山があり、その造成に伴うものともいえなくもなく、詳細は不明です。かつて小沢が
          流れていた跡のようにも見え、だとすれば小川を背にした(一応)崖端の館であったと推測されます。

           
 片山館跡とされる法台寺。
堀と土塁の跡か。 
本堂裏手。 


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