勝瀬氏館(かつせし)
 別称  : 鍛冶海戸遺跡
 分類  : 平城
 築城者: 勝瀬氏か
 遺構  : 不詳
 交通  : 東武東上線ふじみ野駅徒歩20分


       <沿革>
           「鍛冶海戸遺跡」として富士見市に登録されている。『小田原衆所領役帳』に、「勝瀬孫六 
          四拾三貫文 入東郡勝瀬之村」との記述があり、この勝瀬孫六の居館跡である可能性が指摘
          されている。ただし、「勝瀬村」ではなく「勝瀬之村」という表現がわざわざ用いられていること
          から、『新編武蔵国風土記稿』ではこれを勝瀬氏の治める村の内43貫文という内容と解釈して
          いる。
           遺跡からは、東西200mほどの土塁と堀跡が検出されている。


       <手記>
           勝瀬氏の館とするのは今のところ推測の域を出ていませんが、城館跡であることは間違い
          ないようです。遺跡名にある「海戸」は城館跡を示す「垣内」の転訛と思われますし、指定域内
          には「屋敷廻」の小字も残っているそうです。
           館跡とされているのは、勝瀬交差点を原点として第四象限にあたる区域です。現在は民家
          や畑地、藪などになっています。土塁や堀があったとのことですが、X・Y両軸上を歩いてみた
          限りでは見つかりませんでした。道路建設や宅地開発で失われてしまったのでしょうか。畑地
          や藪となっているところでは、何らかの遺構に見えてしまう箇所がいくつかあったのですが、
          勝手に早合点しての小躍りは禁物です^^;
           南には一応「さかい川」という小川が流れているそうですが、館跡付近からは望めないようで、
          そもそも周辺との比高差がほとんどありません。純粋な居屋敷であったものと推測されます。
          勝瀬氏が城主だったとして、『役帳』にある43貫文というのは、同書に掲載されている諸領主
          のなかでもかなり少ない部類に入るものと思われますので、館の規模もそれなりに小さかった
          ものと考えなければならないでしょう。

           
 勝瀬交差点から館跡を望む。
 
館跡現況。 
 


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