川田館(かわだ)
 別称  : 石和館、武田氏館
 分類  : 平城
 築城者: 武田信昌
 遺構  : 土塁、堀跡か
 交通  : JR中央本線石和温泉駅徒歩20分


       <沿革>
           『甲斐国志』によれば、跡部氏を討った武田信昌が「河田」の館を築いて移ったとされる。
          守護武田氏に反旗を翻した守護代跡部景家は、寛正六年(1465)に小田野城に追い詰め
          られて自害しており、川田館の築城はそれからまもなくのことと考えられている。それまで
          の居館は、現在の笛吹市石和町小石和の武田信重館にあったものと思われるが、定かで
          ない。
           明応三年(1494)ないし同七年(1498)、信昌の孫信虎(信直)は、春日居町の誕生屋敷
          ないし川田館で生まれたとされる。永正十五年(1518)ないし同十六年(1519)に、信虎は
          躑躅ヶ崎館を築いて移った。これにより川田館は廃されたものと思われるが、詳細は不明
          である。天文三年(1534)には、川田館跡に隣接する寿徳院が建立されたと伝わる。


       <手記>
           寿徳院の東隣にある二宮神社は、もともとは大井俣神社と呼ばれていたものが、川田館
          の建設にともない鎮守社として改名されたものと伝えられています。二宮神社や寿徳院の
          解説板に館の存在も仄めかされていますが、館そのものの説明や碑などはありません。
           諸書には遺構はないと書かれていますが、神社本殿裏手には土塁状の段差が認められ
          ます。ただ、館の遺構か否かは半々といったところです。その外側は用水川となっており、
          こちらも堀跡とみることもできようかと思われます。

           
 二宮神社。
神社本殿裏手の土塁状地形。 
 土塁状地形北側裏手の用水川。堀跡か。


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