川崎要害(かさわき)
 別称  : 前川城、川崎要害、前川本城、臥牛城
 分類  : 平山城
 築城者: 砂金常房
 遺構  : 土塁、曲輪
 交通  : 山形自動車道宮城川崎ICから車で10分


       <沿革>
           伊達家家臣で当地の豪族であった砂金(いさご)常房によって、慶長十三年(1608)から同十五年
          (1610)にかけて築かれた。常房は、大坂の陣で軍令違反を犯したにもかかわらず、処罰されるどこ
          ろか戦後に一族の家格に列したことから、常房の父貞常が政宗に献上した女性との間にできた落胤
          ではないかともいわれている。
           砂金氏は、元禄十五年(1702)に4代重常が没すると後継者がいなかったために断絶した。その後、
          宮床(みやどこ)伊達氏の伊達村興が入るも、村興は20年ほどで宮床へ戻った。享保七年(1722)、
          一門の伊達村詮が入り、以後7代にわたって続いた。


       <手記>
           川崎要害は、伊達氏が藩内に張り巡らした支城網(要害)のひとつです。
           車を使えば、山形自動車道宮城川崎ICからそう遠くありませんが、その他の交通手段は無に等しい
          です。遺構はかなり残されていて、随所に土塁、曲輪跡が見受けられました。
           本丸櫓台付近から麓までローラー滑り台が設けられていて、土塁を眺めながらの滑り台は、なかなか
          他では味わえない面白さがありました(笑)。


 川崎城址土塁。
同上。 


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