気賀陣屋(きが)
付 気賀関所
 別称  : なし
 分類  : 陣屋
 築城者: 近藤用治
 遺構  : なし
 交通  : 天竜浜名湖鉄道気賀駅徒歩7分


       <沿革>
           五近藤家の1つ、気賀近藤家の陣屋である。気賀近藤家は、5千石を領していた近藤用可の
          死後、次男で嫡出の用治が庶兄の用行に2千石を分知し、気賀に陣屋を設けたことに始まる。
          用行の系統は大谷近藤家と呼ばれ、後に同じ3千石に加増されている。
           気賀近藤家は元和五年(1619)から明治維新まで、12代にわたり気賀関所の関守を務めた。
          関所の設置時期については、諸説あり定まっていない。


       <手記>
           陣屋跡には気賀小学校が建てられ、遺構は残っていません。学校駐車場脇には陣屋の庭に
          植えられていたといわれる椎の木があり、唯一の縁となっています。また西辺には、近藤家に
          関連する「お姫様と大工の恋」という悲恋物語の説明板もあります。井伊谷川沿いの台地角に
          位置し、陣屋でありながらある程度の要害性を有しているのも、特徴といえるでしょう。
           関所は陣屋の南麓にあったようで、「気賀四ツ角」交差点の脇に石碑や説明板が設置されて
          います。街の南西外れには、気賀関所が位置を変えて復元されており、往時の様子を偲ぶこと
          ができます。

           
 陣屋跡の椎の木。
悲恋物語「お姫様と大工の恋」の説明板。 
 気賀関所跡の石碑と説明板。
位置を変えて復元された気賀関所。 
 遠見番所から関所内を俯瞰。


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