木ノ下城(きのした)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 織田広近
 遺構  : 土塁
 交通  : 名鉄犬山駅徒歩7分


       <沿革>
           文明元年(1469)、尾張上四郡守護代岩倉織田氏(織田伊勢守家)の祖である織田敏広の
          弟広近により、小口城に代わる居城として築かれた。このとき、犬山城の前身となる乾山の
          砦も設けられたといわれる。木ノ下城への移転は美濃の斎藤妙椿への備えとされるが、後に
          敏広は妙椿の養女を妻に迎え、岩倉織田氏と斎藤氏は協力関係となった。そのため、広近は
          居城を小口城に戻したとみられる。広近の長男寛広は兄の跡を継ぎ、次男寛近は小口城主
          に収まった。
           その後、しばらく木ノ下城および乾山の砦の動向は不詳となる。明応5年(1496)に妙椿の
          養子妙純が戦死すると、岩倉織田氏は衰退し、天文六年(1537)までには、下四郡守護代
          清洲織田氏(織田大和守家)の出身とされる織田信安が家督を継承した。当時、信安はまだ
          幼少だったことから、大和守家の家臣筋で清洲三奉行の1人であった織田信秀の弟信康が、
          後見として乾山の砦を修築し、居城としたとされる。木ノ下城は、遅くともこのときまでに廃城
          となったとみられる。
           信康の子の信清は従兄の信長と対立し、永禄七年(1564)に犬山城を攻め落とされたが、
          このときに信長が木ノ下城跡を本陣としたともいわれるが、確証はない。


       <手記>
           犬山駅からほど近い愛宕神社が木ノ下城の北辺付近といわれ、境内に城址碑や説明板
          があります。本殿の建つ高台が主殿跡とされていますが、どちらかというと北縁の土塁ないし
          櫓台と見るのが妥当なように思われます。本殿下には金明水という井戸があり、築城時に
          掘られたものとみられています。
           愛宕神社南西100mのところには、金明水対して銀明水もあったとされています。その跡は
          アパートになっていて、アパート名には「木ノ下城跡の銀明水」のサブタイトルが付けられて
          います。銀明水そのものは失われてしまったようですが、建物脇には井戸を模したオブジェ
          が設けられています。このアパートは上の地図に緑点で示したところにありますが、路地を
          分け入った分かりにくいとろこにあるのでご注意ください。

           
 愛宕神社の城址碑。
主殿跡とされる本殿の高台。 
 金明水。
銀明水。 


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