長者屋敷(ちょうじゃやしき)
 別称  : 長者平
 分類  : 平城
 築城者: 矢口信吉か
 遺構  : 削平地
 交通  : 小田急線本厚木駅よりバス
       「三叉路」バス停下車徒歩50分


       <沿革>
           正平十三/延文三年(1358)、新田義貞の子義興が多摩川の矢口渡で討ち死にすると、
          その家臣であった矢口信吉は、残った郎党を率いて宮ケ瀬村の奥地へと逃れた。長者屋敷
          は、応永年間(1394〜1427)に建てられた矢口氏の居館と伝わる。
           矢口氏はここで砂金採集や牧畜を行い、山越えの交易ルートを開いて長者と呼ばれるほど
          の財を成したといわれる。
           あるとき、宮ケ瀬の村人が川上から流れてくる漆塗りのお椀を見つけた。これによって長者
          屋敷の存在が露見し、矢口一族は村人による落ち武者狩りに遭って滅んだと伝わる。信吉
          は屋敷の北の御殿森まで逃れたところで自害し、ハタチ沢は二十歳になる信吉の娘が殺害
          されたところとされる。
           ちなみに、今は宮ケ瀬ダムの湖底に沈んでいる旧宮ケ瀬村馬場地区には「表の屋敷」と
          呼ばれる一画があり、やはり応永年間に津久井郡青野原村からこの地を開拓しに移住して
          きた井上某の屋敷跡とする伝承がある。ダム建設にともなう発掘調査の結果、「表の屋敷」
          からは江戸時代前期の方形館跡が検出された。表の屋敷に隣接する「長福寺跡」からは、
          中世の屋敷跡が発掘された。井上氏について、詳細は不明である。


       <手記>
           長者屋敷跡とされる場所は、現在長者屋敷キャンプ場となっています。中津川が屈曲した
          内側にあり、川下からはヒル沢と細く突き出た尾根に隠れて見えないようになっています。
          キャンプ場の敷地内は結構広い空間となっており、おそらく屋敷跡の削平地を利用したもの
          と思いますが、どこまでがもともとの地形かは分かりません。
           周囲は落ち武者伝説に相応しい深山幽谷で、畑一枚開くのも困難といった感じです。付近
          には金沢や金山沢、金林沢といった金に関連するとみられる名称が散見され、砂金採集で
          生計を立てていたというのは、あながち絵空事ではないように思われます。また、物見沢や
          牛道ノ沢といった交易ルートに関連すると思われる名称もみられます。
           ただ、矢口氏に関する部分については少々留保が必要かと思います。信吉が新田義興の
          家臣とすると、応永年間にはかなりの高齢になっているはずで、矢口一族が襲われたときに
          信吉の娘が二十歳だったというのも、年代的に無理があるように感じます。あるいは、土着
          してから2代か3代は続いたと見ることもできるのではないでしょうか。
           長者屋敷キャンプ場は、川遊びや渓流釣りにはもってこいの静かなところで、小中学校の
          夏休み期間中は毎日、それ以外の夏場シーズンは土日のみ開場しているそうです。BBQ
          などの機材は一式販売・貸出しているようで、なかなか良いキャンプ場だと思います。難点
          は、道が細くてすれ違えるようなところがほとんどないことでしょうか。

           
 長者屋敷跡とされるキャンプ場敷地。
屋敷跡下の川原の風景。 
 


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