駒犬城(こまいぬ) | |
別称 : 駒犬館、駒崎城、佐藤館、塩釜古館など | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 留守氏か | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : JR仙石線本塩釜駅徒歩5分 | |
<沿革> 観応の擾乱における吉良貞家と畠山国氏の争いに際して、観応二/正平六年(1351)に、 吉良氏が「こま崎」の城にあったことが記録されている。『日本城郭大系』では、この駒崎城を 駒犬城と同一のものと推定している。この駒崎城は、もともと留守氏の城であった。留守氏は 畠山氏に属していたため、駒崎城はこのとき吉良方に攻め落とされたものと推測される。 いつごろから駒犬城と呼ばれるようになったかは不明だが、戦国期に留守氏が再び勢力を 伸ばすと、その重臣佐藤氏が駒犬城主を務めるようになった。城主として、記録には佐藤信高 や佐藤左近といった名がみられる。また、塩竈神社の明応六年(1497)の銘のある鐘には、 佐藤宗高という名が記されている。 永禄十年(1567)、伊達氏から政景が入嗣し留守氏を継ぐと、これに反対する一族の村岡氏 や余目氏とともに、佐藤氏も反乱を起こした。元亀年間(1570〜73)、佐藤太郎左衛門父子は 駒犬城に篭って政景軍と戦ったが、敗れて落ちていったとされる。城はこのときに廃城とされた ものと思われる。 <手記> 駒犬城は、東園寺の裏山一帯にあったとされています。塩竈の市街地を挟んで塩竈神社と 対峙する位置にあります。古代より港湾都市として栄えた塩竈は、古くは駒犬城の場所よりも 西南の、現在の香津町付近まで入り江が食い込んでいました(「香津」は「国府津」の転訛と される)。駒犬城も、往時は眼下に入り江と塩竈の港町を望み、海上輸送を掌握できる要衝で あったと推測されます。 現在、城跡一帯は東園寺の墓地として開発されており、遺構らしきものはよく分かりません。 『日本城郭大系』では、寺から山へ登る途中に墓地に転用された削平地らしきものが見られる としていますが、本当に当時の遺構であるかは疑わしいといわざるを得ません。 実はこの東園寺、私の曾祖母の実家の菩提寺なのだそうですが、余り手入れの行き届いた 墓地とはいいがたい感じです。むしろ、今まで墓地となった城跡を数多く見てきましたが、これ ほど雑然として無秩序な墓地は初めてでした。港町の気風といったところなのでしょうが、城跡 云々の前に、墓地としてもう少し手入れをしてもらいたいと思いました。 |
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駒犬城址現況。 | |
城址麓に建つ東園寺。 |