国吉城(くによし) | |
別称 : 河谷城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 国吉氏か | |
遺構 : 曲輪跡、堀 | |
交通 : 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のいち駅または 香我美駅より市営バス。 「町民会館」バス停下車徒歩5分 |
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<沿革> 国吉氏の居城と伝える城である。国吉氏は長宗我部氏の旧臣である。国吉氏による築城とすれば、 長宗我部氏が香美郡に進出した際に、同地に知行を与えられたものと思われる。 永禄十二年(1569)、長宗我部元親が安芸氏を滅ぼしたときに、国吉城北東の拝原城の拝原氏も 没落した。拝原氏の所領は当時の国吉城主国吉玄蕃に与えられたとされる。国吉城および国吉氏の その後については明らかでない。 <手記> 国吉城の名称は、高知県の埋蔵文化財一覧にみられるものです。『日本城郭大系』には、苅谷城の 東500mのところにある国吉氏の居城として、「河谷城」の名で記されています。ただ、苅谷城主として 河谷氏が挙げられるなど、周辺の諸城との間で混乱が生じているように見受けられます。 ただ、徳王子一帯が国吉氏の所領であったことは間違いないため、当城が国吉氏関連のものとみる ことは妥当であろうと思われます。 国吉城は、香宗川に面した山の西端の頂部に築かれた城です。曲輪跡には城八幡が祭られていて、 かなり急かつ荒れた石段を直登して辿り着くことができます。神社のある曲輪は、主郭の1段下のもの と思われます。曲輪の周囲には、切岸もしくは堀の跡と思しき痕跡が見られます。 |
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国吉城登城口。 | |
城八幡のある曲輪のようす。 |