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田村城(たむら) |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 田村親光か | |
遺構 : 曲輪、土塁 | |
交通 : 琴電琴平線栗熊駅徒歩40分 | |
<沿革> 応安元/正平二十三年(1368)に西長尾城へ居城を移した長尾大隅守元高は、8人いる息子 のうち四男の田村上野介親光を栗隈村に配した。親光は栗隈城を築いて拠ったが、田村城は その居館であったと伝えられる。 <手記> 栗隈城の下方中腹にならぶ4つの支城のうち、西から二番目に位置しています。登城路沿い から獣除けフェンスを開けて城内に入ると、後尾上段の曲輪に小さな説明板が建っています。 細尾根に上段と下段、そしてその先の曲輪と3つの大きな細長い曲輪が直列していて、上段の 曲輪には付壇が付属しています。田村城や栗隈城の説明板では先端の曲輪付け根から西側 の谷筋へ下りる道があるというのですが、埋もれてしまったのかはっきりとしたものは見当たり ませんでした。 上述の通り、田村城は栗隈城主の居館部と伝えられますが、どの曲輪も平時の館を置くには 細すぎる印象です。田村親光の跡は弟の上野介が継いだとされていますが、歴代城主が田村 を名乗ったのかは定かでありません。したがって私見としては、田村城は親光が最初に築いた 詰城で、後に背後峰上の栗隈城へと拡張されていったのではないかと考えています。 |
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登城路脇の上段曲輪と説明板。 | |
上段曲輪付壇および下段曲輪を俯瞰。 | |
下段曲輪のようす。 | |
下段曲輪から上段曲輪を望む。 | |
先端の曲輪。 | |
先端の曲輪脇に谷へ下りる道があるといいますが…。 |