串田城(くしだ) | |
別称 : 長樋城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 串田氏 | |
遺構 : なし | |
交通 : 琴電長尾線平木駅徒歩10分 | |
<沿革> 土豪串田氏の居城とされる。串田氏は木曽義仲の末裔を称しているが、詳しい来歴は 不明である。戦国時代には串田山城守秀直、紀伊守義直、紀伊守直実と続いたが、 天正十一年(1583)に長宗我部元親の侵攻により、串田城も攻め落とされたとされる。 <手記> 地図の左側の緑点の位置に朝日神社があり、『日本城郭大系』によればここが串田城 の北西隅にあたるそうです。また、右側の緑点付近には楠木水神社と稲荷神社があり、 こちらは南東隅ということです。その間が小字「城屋敷」と呼ばれ、城の中心部とみられ ていますが、現況は水田で城跡らしさはありません。 楠木水神社はおそらく串田家の居宅の一角にあり、脇には串田氏のご子孫が建てた 石碑があります。それによると、串田秀直は楠木家の娘を娶り、妻は楠木の家名を残す ことを望んだものの、足利将軍家を憚って果たせず、楠の大木で井戸の井桁を拵えて、 「楠木の井戸」と名付けたとあります。クスノキを井桁に使ったという話は『大系』の記述 とも一致しています。 一方、稲荷神社の祠の前には、「27代 富田」さんが1985年に建てた「祖先左近光輝 後裔屋敷跡」という石碑があります。富田左近光輝というと、安富家臣で大井城を築城 したとされる人物ですが、平木からはかなり距離があり、なぜここにそのような石碑が あるのか、気になるところですが経緯は不明です。 |
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朝日神社。 ここが城の北西端だそうです。 |
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朝日神社前から見た城の中心部現況。 | |
楠木水神社。 | |
稲荷神社(左手)。 ここが南東隅とみられています。 中央は「富田左近光輝後裔屋敷跡」の碑。 |