桑島館(くわしま)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 桑島安世か
 遺構  : 削平地、土塁
 交通  : JR東北本線名取駅よりバス、
       「農業園芸研究所入口」下車徒歩20分


       <沿革>
           『名取郡誌』には、「桑島宮内少輔藤原安世トイウ郷士ノ山荘デアリ其ノ眺望絶佳ナリ
          又其ノ平坦ナル所ハ三百五十坪程ニシテ館跡カト思ハル」とある。『日本城郭大系』に
          は、「桑島氏の祖先は鎌倉時代にこの地に土着した」とあるが、典拠は不明である。
           桑島館北東麓の東街道沿いには、道を挟んで向かい合うように幾世姫と小佐治の墓
          なるものがある。その伝説によると、桑島長者ないし川上長者と呼ばれていた安世には
          幾世という美しい娘がいた。あるとき、京からの修行の旅路にあった山内雄幸丸という
          若者が桑島邸に止宿した。その夜、邸宅に盗賊が押し入り、幾世にも手をかけんとした
          ところ、雄幸丸が奮闘して打ち払った。幾世と雄幸丸はお互いに魅かれあい、安世も婿
          養子にしたいと申し出た。しかし、雄幸丸は蝦夷までの旅程を急ぐとして、再会を約して
          惜しみつつ別れた。その後、美しい幾世には有力者からの求婚があり、安世も断ること
          が難しくなった。雄幸丸を忘れられない幾世は、思い募って増田川に身を投げた。修行
          の帰路、雄幸丸が安世のもとで事の顛末を聞くと、悲しみのあまり彼岸での邂逅を願い
          腹を切って果てたとされる。
           幾世の墓碑には、今日では風化してしまっているが永和二年(1376)丙辰三月十五日
          と刻まれていたとされる。安世以降の桑島氏と桑島館については定かでない。

          
       <手記>
           桑島館は、増田川とその支脈の谷に挟まれた細長い峰の1ピークに築かれています。
          南北両サイドにも同じくらいの高さのピークがありますが、これらが城として用いられて
          いるようすはなく、この1峰のみのごく小規模な城砦であったものと思われます。
           城跡へは、上の地図にもあるとおり南東麓の林道から登山道が伸びています。山頂
          の主郭を中心に、周囲に1〜2段の腰曲輪が設けられたごく簡単な構造をしています。
          主郭にはある程度のスペースがありますが、四阿が設けられるなど後世の造作もみら
          れ、当時の規模そのままかどうかは疑問の余地があります。ただ、主郭西辺には明確
          な土塁の跡が認められ、貴重な遺構といえるでしょう。
           主郭からは名取平野の眺望が開けていて、桑島氏の詰城ないし物見台と考えるのが
          妥当でしょう。幾世伝説にあるような風流の山荘として使われた可能性は、立地や構造
          を鑑みると低いように思います。また桑島館の西には川上大館があり、その支砦ないし
          眺望を補うものと考えることもできます。
           伝説そのものについても、ベースとなるような事実はあったのでしょうが、どこまで事実
          かは留保が必要でしょう。「雄幸丸(おさちまる)」と「小佐治(おさじ)」はどちらかが転訛
          したものでしょうし、伝説のバリエーションのなかには「鎌倉管領足利諸氏」なる人物が
          登場するなど、かなり尾ひれがついて語られているように感じます。

           
 主郭のようす。
主郭西辺の土塁。 
 主郭からの眺望。
腰曲輪跡。 
 同上。
ひとつ北のピークから桑島館の峰を望む。 
 おまけ:幾世の墓。
おまけ:同じく小佐治の墓。 


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