リーベンシュタイン城
(Burg Liebenstein)
 別称  : レーヴェンシュタイン城
 分類  : 山城(Höhenburg)
 築城者: アルブレヒト・フォン・レーヴェンシュタイン
 交通  : カンプ・ボルンホーフェン駅前より送迎有り
 地図 : (Google マップ


       <沿革>
           リーベンシュタイン城は、もともとはボーランデン伯が築いたシュテレンベルク城の支郭であった。
          シュテレンベルク城主ボーランデン伯ヴェルナー4世の義甥アルブレヒト・フォン・レーヴェンシュタイン
          は、妻の遺領をめぐって伯父と対立し、1290年にこの支郭を取り立てて改築した。1294年、城は
          シェンク・フォン・シュトロームベルクとルートヴィヒ・フォン・シュテレンベルクに与えられた。
          このときから、城はリーベンシュタイン城と呼ばれるようになった。
           すぐ隣のシュテレンベルク城が14世紀初めにトリーア大司教の所有に帰したのに対し、リーベン
          シュタイン城は、リーベンシュタイン家とリーベンシュタイン=シュテレンベルク家の一族共有相続と
          なった。彼らの居住用として、城は徐々に増改築されていった。一方、トリーア大司教がシュテレン
          ベルク城のリーベンシュタイン側に新たな城壁を築いたため、両者の関係は悪化していった。
           15世紀半ば以降、リーベンシュタイン城の共有相続人の数が減り続け、1510年にはフィリップ・
          フォン・リーベンシュタインが単独で相続することになった。その後、次第に城は荒廃していき、
          1592年には無人となった。17世紀初めにリーベンシュタイン家は無嗣断絶となり、1637年に城と
          領地はマインツ大司教家宰ゲルハルト・フォン・ヴァルデンブルクに与えられた。
           1783年、ヴァルデンブルク家も嗣子がなく断絶となり、ルートヴィヒ・フォン・プロイシェンが跡を
          継いだ。今なおプロイシェン家が所有している。


       <手記>
           日本でいえば、主郭と出丸くらいに近接しているシュテレンベルク城とリーベンシュタイン城には、
          「反目する兄弟(Feindliche Brüder)」という伝説があります。いろいろなバリエーションがあるらしい
          のですが、おおよそ共通しているのは、①とある兄弟が1人の女性を好きになる。②恋敵となった
          兄弟はそれぞれが隣接して城を築き、敵対する。③原因はさまざまだが、最後には相打ちになり、
          どちらの城も無主の城となる。というものです。
           実際には、2つの城が直接の戦闘状態に陥ったことはないそうですので、伝説はあくまで伝説の
          ようです。トリーア大司教がリーベンシュタイン側に高い城壁(通称「争いの壁(Streitmauer)」)を
          設けたことや、リーベンシュタイン(直訳すると「愛の城」)という城名、そして詩人ハイネが「二人の
          兄弟」という詩のモチーフとしたことから、まことしやかに語られるようになったのでしょう。



           


リーベンシュタイン城(右)とシュテレンベルク城(左)。


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