前田沢館(まえたざわ)
 別称  : 前田沢城
 分類  : 平山城
 築城者: 前田沢兵部大輔か
 遺構  : 曲輪跡、土塁、堀
 交通  : JR磐越西線喜久田駅徒歩40分


       <沿革>
           前田沢兵部大輔の居城とされるが、いかなる人物化は詳らかでない。
           天正十三年(1586)十一月の人取橋の戦いにおいて、佐竹氏・蘆名氏ら反伊達連合軍
          は前田沢に本陣を布いた。前田沢館もその一端として利用されたとみられるが、詳細は
          不明である。十一月十七日に、観音堂山の伊達政宗本陣をめがけて進軍した連合軍は、
          終始優勢のままその日の戦闘を終了して帰陣した。しかし、同日夜に佐竹義重の叔父に
          あたる小野崎義昌が、陣中で家臣に刺し殺されるという事件が発生した。さらに、本国で
          北条方の勢力が佐竹領を窺っているとの報が入り、佐竹勢はその日のうちに撤退を決定
          した。これにより、連合軍は解散し、政宗は窮地を脱することになった。
           その後の前田沢館については不明である。


       <手記>
           前田沢館は、五百川沿いの舌状台地先端に位置しています。居館跡といわれる福田寺
          の背後が主郭で、折れをもつ土塁や背後の堀切が明瞭に残されています。この主郭跡は
          お寺と畑地に挟まれながら、何にも利用されていないまっさらな更地となっていて、とても
          不思議な空間に感じられます。あるいは、かつて墓地か何かがあったのかもしれません。
           佐竹勢の本陣が前田沢のどこにあったのかは、はっきりとは分かりませんが、狭いとは
          いえ、前田沢館は大将が寝泊まりするにはちょうどよい場所のようには思います。

           
 主郭のようす。
主郭の土塁。 
 同上。
土塁の折れ部分。 
 土塁と堀切越しに主郭後方を望む。
主郭背後の堀切。 
 堀切を埋めた跡か。
居館跡とされる福田寺。 


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