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浜村城(はまむら) 付 東山城(ひがしやま) |
別称 : 長吉山城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 桜井氏か | |
遺構 : 削平地 | |
交通 : JR舞鶴線東舞鶴駅徒歩20分 | |
<沿革> 史料や伝承には、城主として桜井豊前守や桜井佐吉といった名がみられる。桜井氏の 出自は不明だが、丹後一色氏の有力武将であったと考えられている。天正十年(1580) に明智光秀麾下の細川藤孝が丹後へ攻め入ると、桜井氏は藤孝から和平交渉の取次ぎ を打診された。 他方で、『嶽家文書』や『竹原家文書』には長吉山城主として三藤外記重廉が登場する。 いかなる人物か定かでないが、三藤を三淵の誤記と解せば、藤孝の実家である三淵氏 の一族とも考えられる。慶長五年(1600)の田辺城の戦いに際しては、藤孝の実兄・三淵 藤英の子・三淵光行が籠城方に加わり叔父を助けている。 <手記> 舞鶴市役所のすぐ東側にある丘が浜村城跡です。丘全体が夕潮台公園となっており、 現地に城跡を示すようなものはありません。丘には2つのピークがあり、どちらも公園化に よる地形の改変が多くみられますが、より高い北側の頂部から北方へ3段の平場が続いて おり、主郭と2段の腰曲輪をそのまま転用しているように思われます。南側のピーク周辺に ついては、遺構の有無も含めてよく分からない状況です。 浜村城の一つ北の小山にも、東山城があったとされています。城主は同じと伝えられる ため、浜村城の出城ないし別城一郭の関係にあったのでしょう。こちらは財務省の管理下 にあって立ち入り禁止だそうです。そもそも頂部は削られ遺構は消滅しているようで、発掘 調査により柱穴などが見つかっています。 眼下には明治以来の軍港が広がり、当時も水軍城として運用されていたのでしょう。 |
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舞鶴市役所前から浜村城跡を見上げる。 | |
北側のピーク頂部。主郭跡か。 | |
主郭跡から舞鶴港を見下ろす。 自衛隊の船艇が停泊しています。 |
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主郭北1段下の平場。腰曲輪か。 | |
同平場から主郭を望む。 | |
2段目の平場。 | |
南側の頂部。 | |
赤れんがパークから東山城跡を望む。 | |
おまけ@:舞鶴赤れんがパークより | |
おまけA:浜村城跡のとても気になった水飲み場 アヒル(ペリカン?)の口から飲用水が、 総排出腔から手洗い水が出るようです^^; |