マルクスブルク城
(Marksburg)
 別称  : ブルーバッハ城
 分類  : 山城(Höhenburg)
 築城者: 不詳
 交通  : ブラウバッハ駅徒歩20分
 地図 : (Google マップ


       <沿革>
           史料に最初に現れるのは1231年であるが、築城はもっと早かったものとみられている。その推定
          築城年代は、11世紀初頭から12世紀初頭まで諸説ありはっきりしない。当初はエップシュタイン家の
          所有であったが、1283年にカッツェネルンボーゲン伯エーベルハルト1世の城となった。
           エーベルハルト1世の子孫は城を居住用に改築し、14世紀末ごろのディーター8世の代に完成した。
          15世紀前半ごろ、城内に聖マルクス礼拝堂が設立された。16世紀ごろからこの礼拝堂の名をとって、
          城がマルクスブルクと呼ばれるようになった。
           1479年に、カッツェネルンボーゲン家は無嗣断絶となり、遺領はヘッセン方伯家に引き継がれた。
          マルクスブルク城に関しては、山上の不便を厭うてかあまり使用されず、1571年にブラウバッハの
          町の南端にフィリップスブルク宮殿が築かれると、館の機能はそちらへ移った。このため、マルクス
          ブルク城は17世紀の三十年戦争の戦禍を免れることができたといわれている。戦後、城はヘッセン=
          ダルムシュタット家の所有となった。
           ナポレオン戦争が起こった19世紀初頭ごろには、マルクスブルク城は表向き要塞とされていたが、
          実際には傷病兵の収容や牢獄として使用されていた。1886年、ライン渓谷一帯は普墺戦争に勝利
          したプロイセンの領土となった。しかし、プロイセン時代に城が修復されることはなく、次第に朽ちて
          いった。
           1900年、ドイツ城郭協会の設立者ボードー・エプハルトが城を入手し、修築した。1945年、第二次
          世界大戦の最終局面で、アメリカ軍のライン渡河での砲撃で城は著しく損傷した。現在は、博物館
          として一般に公開されている。

           
       <手記>
           マルクスブルク城は、ライン渓谷では唯一戦火による目立った破壊を受けなかった城として知られ
          ています。ただ、修復工事によりあまりにも綺麗になっているため、そうした幸運の面影を見て取る
          のは難しいようにも思われます。
           このマルクスブルク城、実は日本でそっくりなものを見ることができます。沖縄県の宮古島にある
          「うえのドイツ文化村」の博愛記念館がそれです。なんでもこのモノホンのマルクスブルク城を買収
          して解体し、宮古島に移築する計画だったところ、所有者の猛反対に遭って断念した結果、レプリカ
          を建てることになったのだそうです。
           日本では知られていない話ですが、ドイツでは「日本人は何を考えてるんだ」というときにしばしば
          引き合いに出されるようです。うえのドイツ文化村には、ほかにも本物のベルリンの壁の一部があり
          ます。
           また、福井県の丸岡城と姉妹城なる提携を結んでいるそうです。どういう意味があるのかは分かり
          ませんが。

           


マルクスブルク城を見上げる。


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