松本氏館(まつもとし)
 別称  : 下屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 松本氏
 遺構  : 堀、土橋
 交通  : 熊野本宮大社よりバス
      「道の駅奥熊野」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           在地領主松本氏の居館址とされる。松本氏の居城は鬼ヶ城であり、平時の館がその南一町の
          城栗栖と呼ばれるところに営まれていたと伝わる。鬼ヶ城の築城は元徳元年(1329)とされため、
          館の造営も同じころと推測される。ただ、伝承によれば城栗栖の館は下屋敷と称されたとされる
          ため、このほかにも館が存在した可能性も考えられる。
           天正十三年(1585)、松本家永が城主のとき、鬼ヶ城は新宮の堀内氏善に攻められて落城した。
          家永らは伊勢に逃れたのち、城栗栖の館に戻って帰農した。その後、松本家は伏拝村の大庄屋
          をつとめた。


       <手記>
           『日本城郭大系』をはじめ現代の文献には城栗栖というところに館があったとあるのみで、遺構
          の有無などについては触れられていません。ところが、現地の館があったと思しき場所に行って
          みると、今でも松本氏の居宅があり、その周囲には山を背にしてコの字型に堀が巡っています。
          明らかに人工の堀であり、また近代以降に造られる必要のないものと思われるため、館の遺構と
          みて間違いないでしょう。
           堀の中央には唯一の通路が通っているのですが、これも館のときからの遺構とすれば土橋跡と
          いうことになります。正式な調査によって館跡と断定されれば、この地域では貴重な中世の遺構と
          なると思います。

           
 松本氏館跡周辺のようす。
正面から比定地を望む。 
 中央の通路は土橋か。 
 北辺西側の堀のようす。
同東側の堀のようす。 


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