| マウルタッシュ城 (Burg Maultasch) |
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| 別称 : ノイハウス城 | |
| 分類 : 山城(Höhenburg ) | |
| 築城者: チロル伯か | |
| 交通 : Terlan-Andrian駅徒歩15分 | |
| 地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 13世紀初めごろに、チロル伯によってボーツェン(ボルツァーノ)方面の備えとして築かれたと 考えられている。史料上は、1228年に「Nova Domus(ノイハウスと同義)」として見られるのが 初出である。初期の城には居住用の建物がなく、城下には関所が設けられたとされる。 13世紀後半にチロル伯マインハルト2世がボーツェンを領してトレント司教領主から独立する と、ノイハウス城は戦略的価値を失い、在地の裁判所が置かれるようになった。ノイハウスとは 今日のテルラン一帯を指す地名だが、マウルタッシュの城名はマルガレーテ・フォン・チロルに 由来するとされる。マルガレーテはマインハルト2世の孫娘で、ゲルク伯家系で最後のチロル伯 となった。マウルタッシュ(大きな口の意)とは彼女の渾名で、冬期の滞在先としてノイハウス城 を好んだと伝えられるが、史料上の裏付けはない。 1369年にマルガレーテが死去すると、マインハルト2世のときの取り決めにより、遺領と家名は ハプスブルク家が継承した。その後は16世紀半ばまで、ノイハウスはボーツェン出身のニーダー トーア家が領していた。同家が無嗣断絶すると、1733年までトロスト城主ヴォルケンシュタイン家 が、次いでタンネンベルク伯が領主となった。しかし、マルガレーテ以降は財産として名が挙がる だけで、城は朽ちるに任せていたものとみられる。 1847年、タンネンベルク伯領は婚姻によってエンツェンベルク伯家に引き継がれた。1883年、 エンツェンベルク伯フーゴーは倒壊しかかっていた主塔を修復した。1990~96年にかけて、再び 全体的な修復が施され、今なおエンツェンベルク伯家の所有である。 <手記> マウルタッシュ城はボルツァーノの北西にある小さな町テルラーノ背後の切り立った峰上にあり ます。ボルツァーノ以北はドイツ語が優位で、駅名などはイタリア語との両方併記ですが、説明板 などはドイツ語が第一となります。町名も伊語ではテルラーノですが、独語のテルランの方が通じ やすいでしょう。 北麓の幹線道路沿いに手作りアスレチックが目印のビアガーデンがあり、その脇から登山道が 延びています。これが当時の大手道だったそうですが、城域の下で峰先を回り込み、反対側の 山腹を上がって城門に至っており、日本の山城ではちょっと考えにくいルートを通っています。 主塔以外の建物はほとんど廃墟で、主塔も天井はありません。空堀と城門を抜けると、目立た ないですが足元に縄張り図の銘板が埋め込まれているので、見逃さないようにしましょう。それに よれば、礼拝堂や「方形塔」と呼ばれる支塔もあったようです。また、岩をくりぬいた通路があり、 その奥にも建物と部屋があります。岩山の限られたスペースに、なんとか居住・駐屯スペースを 確保しようとしたのでしょう。 城山からの眺望は素晴らしく、周辺住民の格好のハイキングコースとなっているようで、私の ほかに3組ほど家族連れやカップルが訪れていました。とはいえここは今もエンツェンベルク伯家 の私有地ということで、それがこうして保存され一般に無料で公開されているとは素晴らしい限り です。さぞや裕福で余裕のある貴族なのでしょう。 ちなみにノイハウス(Neuhaus)は英訳すれば「new house」となり、ドイツ語圏には同名の城が いくつかあります。なので、ここでは区別しやすいようにマウルタッシュ城を表題にしました。 |
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| テルランの町から城山を望む。 | |
| 大手道。 | |
| 南辺の城壁。 | |
| 空堀。 | |
| 空堀から続く堀切は藪の中。 | |
| 堀の向こうの城内入口。 | |
| 入口の門脇足元にある縄張り図銘板。 | |
| 主塔を見上げる。 | |
| 方形塔跡を見上げる。 | |
| 門脇の番所跡。 | |
| 岩をくりぬいた通路。 | |
| 通路先の建物の部屋。 | |
| 主塔南側の建物跡。 | |
| 礼拝堂跡。 | |
| 建物跡を俯瞰。 | |
| 主塔内のようす。 | |
| 同上。 | |
| 主塔前からテルランの街を俯瞰。 | |