| トロスト城 (Trostburg) |
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| 別称 : なし | |
| 分類 : 山城(Hangburg) | |
| 築城者: コンラート・ド・トロストベルクか | |
| 交通 : Waidbruck-Lajen駅徒歩20分 | |
| 地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1173年に南東山中のカステルルートを本貫とするコンラート・ド・トロストベルクの居館として 記録に見えるのが初出とされる。1230年ごろには、ロマネスク様式の3階建ての城館が建て られていたといわれる。1243年にはブリクセン司教の家士ヴェルトゥルン家の所有となったが、 同家は1290年にチロル伯から盗賊騎士の烙印を押されて城を逐われ、ヴィランダース家が 新たな城主に据えられた。 1385年、ヴィランダース家の分家とされるヴォルケンシュタイン家が抵当として取得し、子孫 はヴォルケンシュタイン=トロストブルク家を称した。15世紀にはテオバルト・フォン・ヴォルケン シュタイン=トロストブルクがトレント司教領主に選出されるなど、同家は南チロルの有力貴族 として発展した。トロスト城も断続的に拡張され、17世紀にはルネサンス様式に改められた。 1630年、同家は伯爵に叙せられた。他方でトロスト城には夏季しか居住しなくなり、徐々に 管理が行き届かなくなっていった。 1967年、今日の南チロル城館協会の会員が「トロストブルク有限会社」を設立し、荒廃した 城館を購入した。600年弱を経て、ついにトロスト城はヴォルケンシュタイン家の手を離れた。 10年かけて保存・修復工事が行われ、1977年から公開されている。 <手記> トロスト城は、ボルツァーノ北東のアイザック(イザルコ)渓谷に臨むヴァイトブルックの町を 見下ろすように建っています。南チロルは神聖ローマ帝国領だった時期が長いためドイツ語 とイタリア語が併存していますが、このあたりまで奥に北上すると圧倒的にドイツ語が優勢の ようでした。 ちなみに、私がこの城を訪れたのはまったくの偶然でした。トレントから鉄道で北へ向かい、 ボルツァーノ北西のマウルタッシュ城へ行こうとしたところ、乗り換えを間違え列車は北東へ。 ただトンボ返りするのも運賃が勿体ないので近くの城を探したところ、次のヴァイトブルック駅 にこのトロスト城があることを知った次第です。隣駅といっても、渓とトンネルを延々と抜けて 20分ほどかかりました。 駅前から市街地を抜けると、城跡までハイキングコースが付いています。いざ到着してみる と、たいへんに立派な中世然とした佇まいで、「乗り換えミスってよかった~」と心から思える ほどでした。自分の失敗のおかげで、南チロルでも有数の歴史と由緒をもつ城館に出会えた わけで、災い転じて福となすとはまさにこのことでしょう。 上述の通り600年弱にもわたって同一の城主家が保有しており、日本ではそのような城は 相良氏の人吉城くらいしか思い当たりません。とはいえ夏宮となって以降の300年ほどは、 城砦としては顧みられていなかったようで、空堀は通路となり、主殿へも堀底から出入りする ようになっています。館内は時間ごとのツアーで巡れるのですが、戻りの列車に間に合わなく なるので断念しました。また、背後の斜面上には見張り塔が建っていますが、行けるかどうか 分かりませんでした。 あまり近代化されないまま今日まで伝わっている点は、中世城郭好きとしては有難い点で、 規模的にも南チロルの歴史を語る名城といえるでしょう。 |
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| ヴァイトブルックの町からトロスト城を望む。 | |
| 登城途中の景色。 | |
| 登城途中の近影。 | |
| 北側の空堀へ入る城門。 | |
| その先の二の門。 | |
| トロスト城全景。 | |
| 空堀を見下ろす。 | |
| 南辺の空堀の端。 | |
| 南からの近影。 | |
| 南端のミヒャエル門。 | |
| 主殿入口。 | |
| 堀底のようす。 | |
| 背後斜面上の見張り塔を望む。 | |