ねずみの塔
(Binger Mäuseturm)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: マインツ大司教
 交通  : ビンガーブリュック駅徒歩10分または
      ライン川観光船を利用(いずれも眺めるだけ)
 地図 : (Google マップ


       <沿革>
           10世紀中ごろ、マインツ大司教ハットー2世によって築かれたとする「伝説」がある。それによると、
          ハットー2世は飢饉にあって民を救済せず、それどころか施しを求めた民を穀物庫に押し込めて火を
          つけた。苦しむ人々を前になおも嘲りの言葉を吐いたところ、突如鼠の大群が現れてハットー2世に
          襲い掛かった。驚いたハットー2世はこの塔に逃げ込んだが、鼠たちは川を渡って彼の体を生きた
          まま貪ったといわれる。
           この伝説から「ねずみの塔」と呼ばれるようになったといわれるが、実際は関所を意味する古高
          ドイツ語の「muta」、ないしは「待ち受ける」という意味の中高ドイツ語の「musen」が転訛したもの
          と考えられている。
           近年では、14世紀前半ごろに対岸のエーレンフェルス城の徴税能力を補うため、マインツ大司教
          によって築かれたとされている。エーレンフェルス城同様、17世紀の三十年戦争ならびにプファルツ
          継承戦争を通じて著しく破壊された。
           1856~1858年にかけて、塔はプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世によって再建された。
          このとき、ケルンの宮大工棟梁エルンスト・フリードリヒ・ツヴィルナーの計画により、ネオ・ゴシック
          様式に改められた。
           この後、ねずみの塔はライン川航行の船の信号塔として利用された。19世紀以降、貨物汽船の
          航行が増大したが、エーレンフェルス城と塔の間はビンガー・ロッホと呼ばれ、ローレライとならぶ
          船の難所となっていた。川幅が狭まり90度近くカーブしているうえに、暗礁が多く重積載の汽船は
          航行不能であったためである。
           しかし、レーダーの発達や岩礁の爆破による航路の確保により、1974年に監視塔としての役目も
          終えることになった。


       <手記>
           ライン川がほぼ直角に曲がる、ライン渓谷の南端付近の中州先端にポツンと建つ小さな塔です。
          城に含めてよいものかどうか疑問ですが、まあ、マインツ大司教が鼠の大群から身を守るために
          立て籠もった伝説もあることですし(笑)。
           プロイセン王によってネオ・ゴシック様式で再建されたということで、対岸のエーレンフェルス城と
          は対照的に、白壁に朱色の縁取りが施された可愛らしいフォルムをしています。
           公開はされておらず、そもそも中州に渡る手段がないということで遠くから眺めるだけの塔です。
          ライン川は、実際に見れば分かると思いますが、とても泳いで渡ろうというモチベーションの湧く川
          ではありません^^;

           


ねずみの塔(左)とエーレンフェルス城(右)。


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