短野城(みじかの)
 別称  : 本陣山城、筒井順慶城、豊後城、筒掛城
 分類  : 山城
 築城者: 筒井順慶
 遺構  : 曲輪、土塁、堀、虎口
 交通  : 近鉄大阪線名張駅からバスに乗り、
      「梅が丘南三番町」下車徒歩10分


       <沿革>
           天正九年(1581)の第二次天正伊賀の乱に際し、大和から笠間峠を越えて名張盆地に
          進攻した織田家臣・筒井順慶によって、柏原城に対する陣城として築かれた。城攻めに
          及んで織田信雄が本陣を置き、柏原城主・滝野吉政が降伏するとこの城で引見を行った
          とされる。
           天正十三年(1585)、順慶の子・定次が豊臣秀吉の命により伊賀へ転封となると、重臣
          松倉右近重信(勝重)が名張に8千石を与えられ、名張城を築いて居城とした。このとき、
          右近の子・豊後守重政が短野城を詰城として改修したことから、豊後城の別称が生じた
          といわれる。
           天正十四年(1586)ないし文禄二年(1593)に重信が没すると、重政は筒井家を辞して
          秀吉の直臣となった。これにより、短野城は廃城となったものと推測される。


       <手記>
           短野城は南麓を名張川が険しく削る比高140mほどの山上にあります。現状、城山から
          の眺望は利きませんが、眼下に名張城跡や名張の街、そして名張盆地を見渡せる立地
          であることは想像に難くありません。
           北側の丘陵地帯が梅が丘ニュータウンとして開発されているため、北側中腹の梅が丘
          3号公園から比高30m程度の直登で訪城できるのは、嬉しいポイントといえるでしょう。
          主郭の北に長方形の曲輪、南にはやや広い曲輪が展開しています。主郭は低い土塁で
          囲まれ、南側に虎口が開いています。北曲輪にも土塁が設けられていますが、虎口など
          の工夫はとくに見られません。
           南曲輪の外側には長い空堀が巡らされ、主郭の南下にも浅い堀が設けられています。
          この外堀には横矢が設けられているものの、規模的に小さいため、実用性があったかは
          分かりません。指揮官用の主郭に兵士の駐留用の広めの外曲輪、そして織豊系らしい
          視覚的な横矢という陣城らしい構造がコンパクトにまとまっています。

           
 北側中腹の登城口からの眺望。
北曲輪のようす。 
 北曲輪の土塁。
主郭北側の張り出し状の土塁。 
 主郭北辺を望む。
 主郭郭内のようす。 
 主郭南辺の虎口。 
主郭虎口下の堀跡。 
 南曲輪のようす。
南曲輪の空堀。 
 同上。
空堀の横矢状のクランク部。 


BACK