南目館(みなみのめ)
 別称 : 南目城
 分類 : 平城
築城者 : 喜多目紀伊か
 遺構  : なし
 交通  : JR仙石線苦竹駅下車


     <沿革>
        喜多目紀伊が居していたと伝わる。子孫は慶長年間(1596〜1615)まで居住していた
       とされる。喜多目氏について詳細は不明だが、戦国時代に宮城郡に勢力を張った国分氏
       の家臣に、「北目」氏があったとされる。
        『白川文書』には、「宮城郡南目村」について、陸奥大掾沢田平次から石川兼光へ引き
       渡すよう国分淡路守に命じた奥州管領斯波家兼の文和二年(1353)の書状が残っている。
       したがって、この時点で南目村を治める「代官所」が存在した可能性が考えられている。

     <手記>
        今も宮城野区に「南目館」の地名が残っていますが、これは自衛隊駐屯地を指します。
       ですので、現在比定地周辺を歩き回ることは不可能です。駐屯地ができる前の古地図を
       見ると、水濠と土塁で囲まれた長方形の区画がはっきり見て取れます。




南目・北目館周辺(自衛隊駐屯地)


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