顔戸城(ごうど)
 別称  : 顔戸構
 分類  : 平山城
 築城者: 斎藤妙椿か
 遺構  : 土塁、空堀、虎口
 交通  : 名鉄広見線顔戸駅徒歩5分


       <沿革>
           現地の案内板、あるいは御嵩町の「中山道みたけ館」の展示史料によれば、
          戦国初期の美濃守護代斎藤妙椿の築城とされる。妙椿は、応仁元年(1467)の
          応仁の乱で、美濃国守護土岐成頼とともに西軍につき活躍した武将として有名
          である。
           妙椿は当城で没したともいわれるが、詳細は不明である。


       <手記>
           顔戸城は可児川の河岸段丘上に築かれた矩形の単郭城郭で、川と城に挟み
          こまれる形で中山道(東山道)が通っています。南辺を除いた地続きの三方を、
          豪壮な堀と土塁で深く穿ち、街道に面した南と北に虎口を開いています。居館
          程度の城だったのでしょうが、この空堀と土塁の大きさと残存状況は見ごたえが
          あります。
           遺構が良好に残る顔戸城ですが、文献による裏付けは進んでいないようです。
          みたけ館の説明では妙椿の居城としていますが、どこまで本当か分かりません。
          また、城の裏手には八幡神社とその裏山がありますが、この山がなかなか形が
          よく、ひょっとすると顔戸城の詰城として利用された痕跡があるのではないかな、
          とも思いました。

           
 顔戸城石碑。裏手が城跡。
空堀と土塁。 
 城内の様子。


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