土井城(どい)
 別称  : 土居城
 分類  : 山城
 築城者: 三野四郎左衛門
 遺構  : 土塁、削平地か
 交通  : JR予讃線高瀬駅からバスに乗り、
      「たかせ天然温泉」下車徒歩20分


       <沿革>
           『南海通記』によれば、勝間城主三野菊右衛門の子・三野四郎左衛門によって築かれたとされる。
          四郎左衛門は江戸時代に入って高松藩主生駒一正に見出され、藩の家老に抜擢された。人物で
          ある。寛永十七年(1640)の生駒騒動で生駒家が改易されると、主家によく仕えて中立であったと
          して罪には問われなかったものの、丹後宮津藩にお預けとなった。遅くともこのときまでに土井城も
          廃城となったとみられる。


       <手記>
           たかせ天然温泉北西の小山が土井城跡とされています。北側は老人介護施設によってだいぶ
          削られているようです。西側の道路沿いにビニールハウスの畑地があり、その脇から道が通じて
          いて、登りきると山頂南側の鞍部に出ます。
           かつては祠か何かあった感じですが、今では訪れる人もないようで、道も荒れて頂上はド藪と
          なっていました。途中、土盛り地形などはありましたが、はっきりとした城郭遺構は見当たりません
          でした。頂部南東下が広めの削平地となっていますが、先の介護施設なり西側の谷戸の貯水池
          なりの建設に伴うもののようにも見えます。
           このように、現状では城跡らしい遺物はほとんど認められません。四郎左衛門が築いたとしても、
          主家の香川家が天正十三年(1585)に羽柴秀吉の四国平定で改易となった際に、土井城も廃城
          となってどこかの平地へ移り住んだのではないかと推察されます。

          
 北西から土井城跡を望む。
登城路を上がってはじめに出る鞍部。 
 頂部へ向かう途中の土盛り状地形。
同上。 
 主郭のようす。
頂部付近からの眺望。 
 主郭部南東下の削平地。
 後世の造作か。


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