宮寺氏館(みやでらし)
 別称  : 宮寺館
 分類  : 平城
 築城者: 宮寺家平か
 遺構  : 土塁
 交通  : 西武池袋線小手指駅またはJR八高線
      箱根ヶ崎駅からバスに乗り、
      「荻原」下車徒歩3分


       <沿革>
           武蔵七党の1つ村山党の庶流宮寺氏の居館とされる。宮寺氏は村山頼家の次男
          五郎家平にはじまる。家平以降の宮寺氏については詳らかでない。
           元弘三年(1333)の鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代初期にかけて、新田義貞に
          仕えた加納下野守なる人物が当館に拠ったと伝わる。下野守以降の館の動静に
          ついては再び不明となる。
           江戸時代には、狩尾氏や伊濃氏が居を構えたとされる。ただし、慶長十年(1605)
          には宮寺氏の菩提寺西勝院が、館跡に移転している。


       <手記>
           上述のとおり西勝院が館跡で、境内と門前の2か所に土塁が残っています。また
          寺の西側には水路のような小沢が流れ、堀の役割を果たしていたものとみられて
          います。
           現存する土塁から察するに、当館は最終的には2つ以上の曲輪をもつ城館だった
          と推定されます。とすると、平安末の宮寺氏の遺構と考えるのは留保が必要である
          と思われます。そうなると、ここが宮寺氏の館跡かどうかは確証がなくなるわけで、
          現地説明板や標柱にしたがって表題を「宮寺氏館」としましたが、『中世城館調査
          報告書集成』にあるように「宮寺館」と呼称する方が、現状での正確性を担保する
          うえでは妥当だと考えます。

           
 西勝院山門と館跡標柱。
説明板と境内の土塁。 
 門前の土塁。
西側を流れる小沢。 


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