美豆城(みず)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 三方範忠
 遺構  : なし
 交通  : 京阪本線淀駅徒歩20分


       <沿革>
           『香聞御記』に、応永二十五年(1418)に山城国守護代三方範忠が美豆に城を築いて
          居住したことが記されている。三方氏は四職の一色氏の家臣で、同年に山城国守護に
          任じられた一色義貫に従い、守護代の役宅として美豆城を築いたものと思われる。
           義貫は3年後の応永二十八年(1421)に山城守護職を退き、永享六〜八年(1434〜
          36)まで再び同職を務めている。義貫の在職中は、守護代の館として三方氏が美豆城
          にあったものと推測されるが、その前後においても継続使用されていたのかについては
          不明である。
           『足利季世記』には、永禄十二年(1569)一月三日、堺を発った三好三人衆の軍勢1万
          余が「ミズ」に陣取ったとある。五日には、三人衆勢は将軍足利義昭のいる京都本圀寺
          を襲撃している(本圀寺の変)。ここから、美豆城(あるいは城址)が三人衆勢の京襲撃
          の拠点となった可能性が指摘できる。


       <手記>
           美豆城は、桂川と宇治川、木津川の合流点近く、涼森神社の西隣にありました。大正
          時代までは東側の堀が残っていたということですが、現在ではきれいに圃場整備され、
          遺構はありません。涼森神社の鳥居脇に城址碑と説明書きがあります。
           古地図には南北・東西方向に畦が残り、城跡そのままの方形区画が見受けられたと
          いうことです。

           
 美豆城址碑。
美豆城址現況。 


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