望月青木城(もちづきあおき)
 別称  : 青木城
 分類  : 平山城
 築城者: 望月重武か
 遺構  : 曲輪、土塁、堀
 交通  : JR草津線寺庄駅から車で5分


       <沿革>
           現地説明板によれば、村嶋城主望月重元の次男・重武が城主とされる。重武や重元は
          甲賀五十三家筆頭・望月家の一族とみられるが、詳しい系譜や動静は定かでない。


       <手記>
           柑子集落西側の丘陵の北端に築かれた城館です。ただし、城域は尾根に沿って細長く
          延びており、大きく3つのピークから成っています。東麓の道路沿いに説明板が建てられて
          いますが、その脇の矢印が指す斜面は険しく切り立っているうえに竹藪とかしていました。
          そこで反対側の民家脇から登っていくと、畑の縁を迂回して無事に城内へ辿り着けました。
           主郭には甲賀式城館のような土塁はみられず、前方に堀切と腰曲輪が、背後には1段下
          に腰曲輪があります。その先の鞍部は箱堀状に掘り均されており、その向こうが第2ピーク
          の城域となっています。
           第2ピークは細長い曲輪が3段に連なっており、頂部曲輪は前後にめくれ上がったような
          小さな土塁が付属しているのが特徴です。さらに遡ると第3ピークがあり、こちらの頂部には
          古墳を利用したような塚状土塁が見られます。
           第3ピークの奥の鞍部にはお地蔵さまが安置され、かつては峠道が通じていたような感じ
          です。おそらく、ここが青木城の最後尾でしょう。そのまま尾根伝いに進めば村嶋城に至り
          ますが、今日では途中に調整池が建設されており、行き来は困難です。
           上述の通り、青木城は甲賀式ではないごく一般的な山城のつくりをしています。典型的な
          甲賀式城館である村嶋城に対して新しく築かれた城砦と位置付けることができると思われ
          ますが、その経緯や甲賀式でない理由などは、たとえ百家争鳴すれども推測の域を出る
          ものではないでしょう。

 望月支城前から青木城跡を望む。
道路沿いの説明板。 
 主郭前の堀切。
堀切越しに主郭前方の腰曲輪を俯瞰。 
 主郭のようす。
主郭背後の腰曲輪。 
 主郭部背後の箱堀状の鞍部。
第2ピーク部最下段の曲輪。 
 2段目の切岸。
第2ピーク頂部の曲輪と前方の土塁。 
 同じく後方の土塁。
第3ピークの塚状頂部。 
古墳を利用したものか。 
 第3ピーク頂部曲輪と土塁。
第3ピーク背後の鞍部。 
城域最後尾か。 


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