牧西堀の内(もくさい)
 別称  : 牧西城
 分類  : 平城
 築城者: 牧西弘季か
 遺構  : なし
 交通  : JR高崎線本庄駅徒歩40分


       <沿革>
           武蔵七党の1つ児玉党の庶流牧西氏の居館址と伝わる。牧西氏は、児玉党宗家
          庄家弘の子四方田弘高の子四郎弘季にはじまるとされる。土地の伝承によれば、
          弘季は平安時代末期に牧西へ入植して館を築き、八幡神社を創建したとされる。
          ただし、『吾妻鏡』には承久三年(1221)の承久の乱で幕府方に属した「庄四郎」
          ないし「四方田四郎」の名がみえる。これが弘季を指すとすれば、牧西氏の成立や
          居館の建設時期に疑問が生じるものとみられている。
           弘季の子三郎義季の存在は認められるが、その後の牧西氏については不明で
          ある。

       <手記>
           牧西は元小山川に面した平らな土地で、館は集落の中心付近にあったとされて
          います。『日本城郭大系』には西辺と北辺の堀跡が水路として残るとありますが、
          いったいどれを指すのか分かりません。静かで平凡な集落のなかをひとしきり歩き
          回るにとどまりました。

           

牧西堀の内周辺現況。
 


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