守屋屋敷(もりや)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 守屋左太夫行広
 遺構  : なし
 交通  : JR中央本線藤野駅徒歩20分


       <沿革>
           慶長十三年(1608)から正保元年(1644)まで、津久井の代官を務めた守屋左大夫
          行広とその子左大夫行昌の屋敷と伝わる。守屋氏の出自は定かでないが、永禄二年
          (1559)成立の『小田原衆所領役帳』によれば、佐野川村を中心に守屋氏一族が所領
          を得ていたことがうかがえる。
           行昌後の守屋氏について詳細は明らかでないが、子孫は後年に麓の勝瀬村に移住
          したと伝えられる。


       <手記>
           守屋屋敷は、青蓮寺にある説明板によれば同寺大門の北西100mほどの「西ヶ原」
          と呼ばれるところに、『津久井県地誌捜索御用筆記』によれば同寺の西二丁(約200
          m)ほどのところにあったとされています。また、『日本城郭大系』では、青蓮寺と相模
          湖自動車教習所の間にある「ドンドン屋敷」と呼ばれる畑地が屋敷跡であるとしつつ、
          むしろ教習所敷地内が比定地ではないかと推測しています。
           いずれにせよ、青蓮寺の西側にあったことは間違いないが、その正確な位置は定か
          でなく、遺構も残っていないということのようです。『大系』にある畑地についても、寺と
          教習所の間にそれほどの広さのある畑はなく、建物に転用されたようです。
           青蓮寺の西隣には沢水が流れており、山の斜面の緩まったところにある日連地区
          にとって、貴重な水源であったと思われます。したがって、この沢水に面したところに
          屋敷も構えられていたのではないかなというのが、個人的な直感です。

           
 青蓮寺。
比定地の1つ、相模湖自動車教習所。 
 青蓮寺境内の代官守屋左大夫に関する説明板。
 屋敷についても触れられています。


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