本折城(もとおり)
 別称  : 本折越前館、本折但馬入道館
 分類  : 平城
 築城者: 本折氏
 遺構  : なし
 交通  : IRいしかわ鉄道小松駅徒歩10分


       <沿革>
           富樫氏の被官・本折氏の居城とされる。本折氏の出自は明らかでなく、『日本城郭大系』に
          よれば、『加能郷土辞彙』の「嘉吉元年(1441)十二月廿四日細川左京大夫持之判書」に、
          本折但馬入道父子が加賀に討ち入ったとする記述がみられるとされる。この年、元加賀守護
          の富樫教家と、弟の新守護・泰高の間で家督争いが生じていた。
           長享二年(1488)に富樫政親が高尾城で一向一揆に攻め滅ぼされると、本折越前守が降伏
          したものの、一揆方に斬られたとされる。加賀は一揆の持ちたる国と称されたが、富樫氏自体
          は存続し、本折氏の名も被官としてその後も見受けられる。しかし、富樫氏の勢力は一向一揆
          によって元亀元年(1570)に加賀から排除され、本折氏の動静も途絶えている。
           本折城は一揆方の拠点の1つとなったとみられ、天正五年(1577)には織田家臣・滝川一益
          により、同八年(1580)には同じく柴田勝家によって焼き討ちにされた。そのまま廃城となった
          とみらえるが、詳細は不明である。


       <手記>
           北は本光寺から南は多太神社までの範囲が本折城址に比定され、遺跡地図ではおおよそ
          上に示したあたりとされています。周囲は小松の市街地で、遺構らしきものはみられません。
          多太神社には『平家物語』で有名な斎藤別当実盛のものとされる兜が奉献されており、これを
          見た松尾芭蕉が「むざんやなかぶとの下のきりぎりす」と詠んだとされる故地です。比定地の
          西辺は旧北国街道で、おそらく要害性というよりは政治経済上の要地として居館が営まれた
          のでしょう。
           ちなみに、『大系』では本折城とは別個に本折越前館と本折但馬入道館の2館をリストアップ
          しています。3城館は同一のものとも思われますが、上図の通り比定地がかなり縦に長く広大
          なので、あるいは複数の城館が並んでいたのかもしれません。

           
 本光寺。
多太神社。 
 北国街道沿いの松尾芭蕉宿泊の地。
 ここも比定地内です。


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