毛利屋敷(もうり) | |
別称 : すずがき小屋 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 毛利景行 | |
遺構 : 不明 | |
交通 : 小田急線本厚木駅よりバス 「御門橋」バス停下車 |
|
<沿革> 毛利荘領主毛利景行の館跡と伝わる。景行は、一般に知られる大江姓毛利氏以前の荘園 領主であり、その出自については定かでない。上杉和彦「日本中世の伝承と相模国毛利荘」 (『文化継承学論集 第三巻』)によれば、伊豆山権現経塚に埋納された承安二年(1171)の 和鏡に「藤原景行芳助平氏 相州下毛利」とあり、景行が藤姓であったものと推測している。 他方、「平氏」の表記もみられ、平良文流の諱には「景」の字が多く使用されていることから、 平姓である可能性もあろうかと思われる。 景行は、建暦三年(1213)の和田合戦に際して和田義盛方につき、敗れて子の小太郎・ 小次郎とともに討ち死にした。戦後、毛利荘は大江広元に与えられ、広元の四男季光が荘園 を継承して大江姓毛利氏の祖となった。景行の毛利屋敷のその後については不明である。 <手記> 宮野の森と呼ばれる小丘と御門橋の間の小字「御所垣戸」に、毛利屋敷はあったとされて います。比定地一帯は2本の小沢に挟まれたごく緩やかな斜面上に位置し、現在はかなり 広々とした茶畑となっています。遺構も何もありませんが、ここに開発領主の居館があった 蓋然性は十分にあるものと思われます。 宮野の森は、地図で一見すると詰城等にはちょうど良い独立丘のように見えます。ですが、 これは県道64号線の深い切通しによるもので、もともとは西から緩く長く続く峰の先端部と いった感じです。この丘の上にまで城館施設が及んでいたとはちょっと考えにくいです。 |
|
毛利屋敷跡周辺現況。 |