中土合城山(なかどあい)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 大貫氏か
 遺構  : 不詳
 交通  : 小田急線海老名駅よりバス。「新道」バス停下車


       <沿革>
           杉久保字中土合に城山と呼ばれる小丘があり、以前は頂部に人工の平坦面と思われる
          遺構があったといわれる。しかし、東名高速道路の建設に伴う採土によって城山の大半は
          削り取られてしまった。
           中土合城山について、『日本城郭大系』では大貫氏との関連を示唆している。大貫氏は
          上野国小泉の出とされ、永享十二年(1440)に大貫義兼が結城合戦の恩賞として相模国
          愛甲郡に所領を与えられたと伝わる。義兼は、文安元年(1444)に嘉吉の乱での追討軍
          不参加を咎められ、所領を没収された。文明六年(1474)になって罪を赦され、同国高座郡
          恩馬郷に住んだとされる。
           その後大貫氏は中郡戸田郷に移り、後北条氏に仕えたとされる。しかし恩馬郷に残った
          一族もいたようで、近世において恩馬郷の有力者とされた恩馬七人衆の1人に数えられて
          いる。現在も、城山に大貫家の居宅がある。


       <手記>
           中土合城山は、「九里の土手」と呼ばれる相模川の河岸段丘の最南端付近に位置して
          います。とはいっても、宅地化や採土によって周辺の地形は大きく改変され、山のようすを
          うかがい知るのはかなり困難です。
           城山の南西の交差点にコンビニがあり、コンビニ自体は平地に均されているのですが、
          その裏手に城山の一端が見えます。また、コンビニ東側の生活道路を入っていくと、左手
          に大貫家の居宅と城山の痕跡と思われる高まりが続いているのがわかります。
           このように、山があったことはなんとか分かるのですが、それ以上の城跡の手がかりを
          見つけることは難しい状況といえます。
           城山は九里の土手の最南端ですが、その南からまたすぐに次の段丘がはじまります。
          つまり、城山の南は2つの段丘の谷間ということになり、ここに東西方向の街道が走って
          いたことは容易に推測されます。

           
 中土合城山の南端付近を望む。
城山北端付近のようす。 


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