中原御殿(なかはら)
 別称  : 御鷹野御殿、雲雀野御殿、御旅館
 分類  : 平城
 築城者: 徳川家康
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道本線平塚駅よりバス
       「中原御殿」バス停下車徒歩3分


       <沿革>
           徳川家康の宿舎として、慶長元年(1596)ごろ築かれたとされる。江戸虎の門と大磯化粧坂を結ぶ
          中原街道の名は当御殿にちなむもので、東海道の脇往還として江戸時代を通じて利用された。中原
          街道自体は後北条氏時代に整備されたもので、五街道が整備される前は主要な幹線道路であった。
           鷹狩や西上の際の宿舎として、家康がしばしば利用した記録が残っている。慶長十八年(1613)、
          小田原藩主大久保忠隣に預けられていた馬場八左衛門は、中原御殿に止宿中の家康に忠隣謀反
          を訴え出た。また元和二年(1616)には、日光へ向かう家康の棺が中原に1泊している。
           その後、寛永十七年(1640)に修築されたものの、明暦三年(1657)に廃された。

       <手記>
           現在、御殿跡は中原小学校となっていて遺構はありません。校門脇に石碑と説明板が建てられて
          います。小学校北側の道路は堀跡といわれ、また他の三方の道路も概ね御殿外周をなぞったものと
          思われます。南東隅で道路が鉤の手に折れているあたりに、往時の縄張りを感じることができます。

           
 中原御殿跡石碑と説明板。
南東隅の鉤の手の道路。 


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