中島砦(なかじま)
 別称  : 中島城
 分類  : 平城
 築城者: 織田信長
 遺構  : なし
 交通  : 名鉄本線鳴海駅徒歩5分


       <沿革>
           永禄二年(1559)ごろ、今川方の鳴海城攻略のため善照寺砦丹下砦とともに築かれ、梶川高秀・
          一秀兄弟が守っていた。
           翌永禄三年(1560)の桶狭間の戦いの際、信長本隊が善照寺砦に到着すると、中島砦の前にいた
          佐々隼人正政次・千秋四郎季忠ら300人が今川軍に攻撃を加え、両将以下50人が戦死した。桶狭間
          の戦いには謎が多いが、この部隊の行動も理由や目的が明らかになっていない。
           また、本戦においても従来の奇襲説と、近年の正面突破説(最近はこちらが有力)があり、後者の
          場合善照寺砦を出発した信長本隊は中島砦を経由して今川軍に突撃したことになる。前者の場合は、
          中島砦に下りてきた時点で今川軍に所在を確認されてしまうため、奇襲として成立せず、善照寺砦
          から山間伝いに移動したことになる。


       <手記>
           中島砦は、その名のとおり扇川と手越川の合流する中州にあります。現在は宅地化して何も遺構は
          残っていませんが、民家の一角に石碑が建てられています。これは個人が自宅の裏庭に建てたもの
          のようで、所有者のご厚意により一般に公開されています。とはいっても、フェンス戸を開けてお邪魔
          しなければならないため少々気が引け、とりあえず一礼した上で拝見させていただきました。


           


中島砦址石碑。


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