中条城(なかのじょう)
 別称  : 吾妻城、中城
 分類  : 平山城
 築城者: 鹿野氏か
 遺構  : 堀跡
 交通  : JR吾妻線中之条駅徒歩20分


       <沿革>
           築城年代は不明である。城主として、湯本幸胤の名が挙げられている。幸胤は、天正十七年
          (1589)に北条氏の軍勢が横尾八幡城へ攻め寄せた際に、援軍として駆けつけた武将の1人と
          して『加沢記』に登場している。
           『中世城館調査報告書集成』には、城主として幸胤の他に剣持氏の名を記している。剣持氏
          は、伊豆国狩野氏の後裔とされ、真田氏家臣の吾妻衆として狩野氏(鹿野氏)が散見される。
          先の横尾八幡城の城番衆のなかにも、狩野志摩守・同右馬助の名がみられる。狩野氏が鹿野
          や剣持に姓を改めたのは、一般には江戸時代のこととされる。

       <手記>
           中条城は、吾妻川に注ぐ2本の小沢に挟まれた細長い台地の先端を利用した城です。東側の
          沢沿いに下る道の脇に、藪に埋もれた城址標柱があります。
           城址一帯は宅地化が進み、遺構の判別が難しくなっています。堀跡や曲輪跡と思われる箇所
          がところどころ見受けられるのですが、本当に遺構なのかどうかは何ともいえません。
           城址北西の、バス通りを挟んだ北側一帯は字内出と呼ばれており、諏訪神社の鎮座する丘は
          物見台ないし烽火台と思われます。城主として挙げられている湯本幸胤も剣持氏(狩野氏)も、
          ともに真田氏配下の吾妻衆として活躍した武将です。このことから、中条城は真田氏の命により
          築かれ、湯本氏や狩野氏が城番を務めていたのではないかと推測されます。

           
 中条城(吾妻城)址標柱。
中条城址先端付近のようす。 
 堀跡か。
字内出の諏訪神社の丘。物見台か。 


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