那須城(なす)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 那須(石畑)氏
 遺構  : 土塁
 交通  : 近江鉄道豊郷駅徒歩15分


       <沿革>
           源平屋島の合戦で有名な那須与一宗高(宗隆)の次男宗信(宗伝)が、石畑民部大輔を名乗り築城したと
          伝わる。以後那須氏代々の居城となる。
           延応元年(1239)には、石清水男山八幡に勧請し、城内に八幡宮を建造した。
           ただし、那須氏は下野国に下向して以降しか有用な史料には登場せず、那須与一そのものが歴史学的に
          は存在が立証できないため、どこまでが事実かは特定できない。


       <手記>
           石畑氏、あるいは那須氏については不明な点が多い訳ですが、この地に城館があったことは間違いないよ
          うで、八幡神社の北側には土塁の痕跡が見受けられるそうです。
           東山道沿いの好立地にあり、江戸時代には中山道の合(あい)の宿として栄えたそうです。
           なお、城の北側には、存廃を巡って町長のリコールにまで至った有名(?)な豊郷小学校旧校舎があります。
          確かに古い建物ですが、率直に言ってそこまでして残さなければならないような建物には見えませんでした。

           
 城跡に鎮座する八幡神社。
中山道から見た八幡神社。 
宿場町の間の休憩街としてにぎわった。 
 那須城址遠望。
 左のコンクリむき出しの廃屋が、豊郷小学校旧校舎。


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