ライヒェンシュタイン城
( Burg Reichenstein )
 別称  : ネッカーゲミュント・ライヒスブルク城
 分類  : 平山城(Höhenburg)
 築城者: ホーエンシュタウフェン朝か
 交通  : ネッカーゲミュント・アルトシュタット駅徒歩10分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           13世紀前半ごろに、ホーエンシュタウフェン朝によって神聖ローマ帝国の城(ライヒスブルク)
          として築かれたと推測されているが、確証はない。1292年、神聖ローマ皇帝ルドルフ1世の子
          アルブレヒト・フォン・ハプスブルクが、ライン宮中伯ルートヴィヒ2世に対し、きたる皇帝選挙で
          自分を支持すればライヒェンシュタイン城を譲渡する旨のお墨付きを与えた。これが、ライヒェン
          シュタイン城が史料上に現れる初出である。ちなみに、この選挙でルートヴィヒ2世はたしかに
          アルブレヒトを推したが、敗れてナッサウ伯アドルフが即位した。アドルフの死後、アルブレヒト
          が皇帝アルブレヒト1世として即位したが、城は帝国所有のままであった。
           1329年、皇帝ルートヴィヒ4世(ルートヴィヒ2世の次男)は、ライヒェンシュタイン城とその麓の
          ネッカーゲミュントの町を甥のライン宮中伯ルドルフ2世に抵当に入れた。ルドルフ2世の弟の
          ルプレヒト1世の代に、ライン宮中伯はプファルツ選帝侯となり、城と町は選帝侯領となった。
           ネッカーゲミュントの町はその後も栄えたが、ライヒェンシュタイン城は1355年を最後に史料上
          からは姿を消した。戦略上の意義を失い、14世紀中に廃城になったものと考えられている。

       <手記>
           ライヒェンシュタイン城は、ネッカー川とその支流エルゼンツ川の合流点を見下ろす、小高い
          半独立丘上にあります。城山とネッカー川の間に、ネッカーゲミュントの旧市街があります。
          エルゼンツ川は、ネッカー川の支脈のなかでは比較的大きな方で、ライヒェンシュタイン城は
          ネッカー川流域だけでなく、エルゼンツ川の谷戸も押さえる目的で築かれたものと推測され
          ます。
           現在、城跡一帯は町の公園となっています。かなり古い時代に放棄された城ということも
          あって、遺構としては城壁の基部石積みくらいしか残っていません。上の写真にある主郭の
          門跡が、唯一の建造物遺構と思われます。
           南北に細長い丘であることもあって、ライヒェンシュタイン城は梯郭式に4つほどの曲輪を
          並べた縄張りとなっています。第3郭くらいまでは、石塁も残っていてはっきりとみてとれるの
          ですが、その先は住宅街との境になっていて、どこまでが城域か判然としません。いずれに
          せよ、多数の曲輪からなる縄張りであったことは間違いなさそうで、ヨーロッパのなかでは
          比較的日本の城と似た構造をもつものであったと思われます。
           ちなみに、ネッカーゲミュントはドイツ有数の観光地であるハイデルベルクから電車で10分
          程度のところにありながら、ネッカー渓谷ののどかな風景と歴史ある旧市街をもつ町です。
          アルトシュタット駅から徒歩10分圏内に見どころが集中していて、ハイデルベルクのにぎやか
          さからちょっと足をのばした、穴場の観光地としておすすめです。
  
  
 主郭のようす。
主郭の石塁。 
 同上。
第2郭の石垣。 
 第3郭の石垣。
旧市街入口の市門。 


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