根添館(ねぞえ) | |
別称 : 根添城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 安倍氏 | |
遺構 : 曲輪跡、土塁、空堀 | |
交通 : 仙台駅よりバス 「坪沼小学校前」バス停下車徒歩5分 |
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<沿革> 史料には登場しない城である。地元の言い伝えでは、平安時代後期に栄えた安倍氏の 館とされる。永承六年(1051)に始まる前九年の役で、源頼義・義家父子の軍勢が、安倍 勢の籠る根添館を攻撃した。頼義軍は激しく攻めたものの、守備兵の抵抗は頑強で容易 に落ちなかった。そこで、義家は本陣を城背後の道内寺(現在の中沖字道内屋敷)に移し、 数日間攻めたててようやく落としたといわれる。 戦後、頼義は館跡の南東に坪沼八幡神社を勧請したとされる。その後の館については 不明である。 <手記> 根添館は、坪沼の盆地の真ん中にぽっかり浮かぶような半独立丘の先端にあります。 周辺には古墳が多く、根添館もそのうちの1つを利用したものといわれています。付近に 東北自動車道が通っていることからもわかる通り、古くは奥州街道の脇往還として交通の 要衝にあったものと考えられます。 大手は舘下の字をもつ北側にあったとみられ、周辺には倉元や宿町、柳町といった屋号 をもつ屋敷があるということです。城下集落を東へ進むと、坪沼川に架かる大橋を渡って、 奥州脇往還につながっていたようです。 城の構造は、主郭とその下を取り巻く帯曲輪からなる単純なものです。館の南は堀で切 られ、三方は沼に囲まれていたといわれ、縄張りのシンプルさを十分に補える天険の要害 にあったようです。現在、城の南は土橋となっていますが、これは城内の畑との行き来の ために設けられたものだそうで、当時は橋が架けられていたのでしょう。 主郭の南東隅には土塁が残っており、その脇に説明板が立てられています。館の北西 麓に登城口があり、登城路の両側は土塁に挟まれるような格好となっています。全体的 に遺構は良く残っており、前九年の役以来の城がこんなに残るものなのかな、という疑問 も湧いてきました。あるいは、中世まで在地領主が使用していたのかもしれません。 |
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根添館遠望(画面中央部)。 | |
根添館説明板。背後に土塁があります。 | |
主郭のようす。 | |
帯曲輪のようす。 | |
西側の空堀。 | |
登城口の土塁。 |