新穂城(にいぼ)
 別称  : 下新穂城
 分類  : 平城
 築城者: 新穂氏
 遺構  : 堀
 交通  : 両津市街または佐和田市街からバスに
      乗り、「新穂小学校前」下車徒歩5分


       <沿革>
           「村殿」と呼ばれる在地領主の1つ新穂氏の居城とされる。新穂氏の出自は定かで
          ないが、現地説明板によれば14世紀ごろに成立したとみられている。『夷本間文書』
          には文安五年(1448)に新穂有時の名が現れるが、戦国時代の城主としては、本間
          備前守貞有や本間和泉守正明といった名前が挙がっている。これは新穂氏が没落
          したわけではなく、本間氏に従って本間姓を与えられたものと考えられている。
           天正十七年(1589)に上杉景勝が佐渡を平定すると、他の本間諸家と同じく新穂城
          も解体されたとみられている。


       <手記>
           地図上でもはっきりわかる堀跡が印象的な城跡です。堀内の面積はかなり広さが
          あり、1家だけでなく環濠集落のように一族の屋敷が集まっていたのではないかとも
          考えられます。
           付近には舟下城武井城など同様の立地の城館がいくつもありますが、はっきり
          残っているのはこの新穂城と北方城の2つのみとなっています。佐渡を訪れたら必訪
          ともいえる城跡の1つでしょう。

           
 説明板と標柱。
南辺の濠。 
 東辺の濠。
北西隅の濠。 


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