荷之上城(にのうえ) | |
別称 : 二之江城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 服部氏か | |
遺構 : 堀跡か | |
交通 : 名鉄尾西線五ノ三駅徒歩5分 | |
<沿革> 『信長公記』に「二之江の坊主服部左京進」とあり、服部左京進友貞が拠っていたと みられているが、詳しい築城の経緯は不明である。当時の荷之上周辺は木曽川河口 の浮島のような土地で、友貞は服部党を率いて長島の願証寺と結び、織田氏の支配 からは独立を保っていた。 永禄八年(1565)、友貞不在の隙を突いて、織田信長の弟信興と家臣滝川一益が 服部党を攻撃した。荷之上城の陥落は免れたようだが、付城として鯏浦城・小木江城 を構えられ、服部党の行動に足枷が付けられる格好となった。 永禄十一年(1568)、友貞は織田方の刺客に襲われ落命した。荷之上城も奪われた とみられるが、確証はない。残った服部党が元亀元年(1570)の長島一向一揆に参加 しているものの、一連の争いに荷之上城は登場しない。 天正四年(1576)、友貞の子ともいわれる服部正友が、信長の許しを得て荷之上に 入植して屋敷を構えた。以後、荒廃した土地の開発や干拓を進め、服部家は江戸時代 には代々大庄屋を務めた。 <手記> 庄屋服部家の屋敷は国の重要文化財に指定されていて、主屋や離座敷、表門など が残っています。この服部家住宅が荷之上城跡と伝えられていて、北辺には堀跡の ような水路も見られます。コロナ禍で公開は控えておられるようで、ぐるっと一周して 水路や立派な長屋門などを外から見学させていただきました。 |
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服部家住宅表門。 | |
北辺の水路。堀跡か。 |