鯏浦城(うぐいうら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 織田信長か
 遺構  : なし
 交通  : JR関西本線・名鉄尾西線弥富駅または
      近鉄名古屋線弥冨駅徒歩7分


       <沿革>
           永禄八年(1565)、織田信長は長島の願証寺と協力関係にある独立勢力・服部党
          を攻撃し、服部左京進友貞の居城荷之上城に対する付城として、鯏浦城・小木江城
          の2城を構築した。両城とも、城将は信長の弟信興が務めたとされる。ただし、『日本
          城郭大系』には鯏浦城主として、服部左近将監の名が伝わるとある。こちらが正しい
          とすれば、信長は服部党の鯏浦城を攻め落として利用したことになる。
           永禄十一年(1568)、友貞は織田方の刺客に襲われて落命した。元亀元年(1570)
          に長島一向一揆が発生すると、生き残った服部党は一揆勢に加わり、小木江城に
          信興を攻め殺した。その後、天正二年(1574)の第三次長島侵攻において、鯏浦が
          焼き払われていることから、このときまで鯏浦城が一揆勢の拠点として存続していた
          とも考えられるが、確証はない。


       <手記>
           弥富駅の北の薬師寺付近が鯏浦城跡とされ、境内に城址碑や説明板があります。
          その脇には、樹齢600年以上ともいわれる幹回りの立派な天然記念物の大楠が根を
          下ろしています。当時の鯏浦城は名前の通り海に面していて、信長軍がこのクスノキ
          に船を繋いだとも伝えられているそうです。

           
 薬師寺と大楠。
鯏浦城址碑と説明板。 


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