於田屋館(おたや)
 別称  : 西牧氏館
 分類  : 平城
 築城者: 西牧氏
 遺構  : なし
 交通  : 長野自動車道松本ICから車で15分


       <沿革>
           国人・西牧氏の居館とされる。西牧氏は信濃の名族・滋野氏の一族とされるが、その系譜や
          西牧郷への入植の経緯などは明らかでない。当初は中村館に拠っていたといわれ、いずれか
          の時期に北条の於田屋館へ本拠を移したとみられている。
           『守矢満実書留』の文明十二年(1480)十月十日の条に「西牧殿屋形焼候」とあり、於田屋館
          を指すとみられているが確証はない。また『信府統記』に、天文十五年(1546)の真光寺大檀那
          として滋野讃岐守貞兼の名が挙げられており、当時の西牧氏当主(於田屋館主)ないしそれに
          連なる人物であったとみられる。
           西牧氏は戦国時代中期には守護・小笠原氏に従属していたが、武田晴信(信玄)が小笠原
          長時を駆逐すると、武田氏に臣従した。天正十年(1582)に織田信長が武田氏を攻め滅ぼすと、
          織田家臣となった木曽義昌に属したが、同年の本能寺の変で義昌が撤退し、長時の子・貞慶
          が旧領復帰を果たすと、西牧氏は貞慶に攻められ所領を失った。これにより、於田屋館も廃館
          となったとみられるが、詳細は不明である。


       <手記>
           於田屋館は、西牧氏の勢力圏である梓川左岸の河岸段丘の中心部に位置しています。上に
          図示したポイントに説明板があり、そこが館の北東隅付近にあたるようです。説明板には西辺に
          土塁が残っているように描かれているのですが、たまたま居合わせた地元の方に伺ったところ、
          土地改良により既に失われているそうです。館の背後には、詰城の北条城跡が控えています。

           
 説明板と館跡現況。
館跡付近から詰城の北条城跡を見上げる。 


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