仁田館(にった)
 別称  : 仁田氏館
 分類  : 平城
 築城者: 仁田氏
 遺構  : 土塁、堀
 交通  : 伊豆箱根鉄道伊豆仁田駅徒歩5分


       <沿革>
           源頼朝の挙兵に従った仁田忠常の居館跡と伝わる。仁田氏は藤原南家流とされるが、
          系譜は不明である。忠常は建仁三年(1203)の比企能員の変に際して北条時政に属し、
          能員を討ち取った。しかし、その恩賞を受けに時政邸を訪ねた帰路、謀叛の疑いをかけ
          られ、時政の命を受けた加藤景廉に討たれた。
           忠常以降の仁田氏については詳らかでない。ただ、現在も忠常後裔を称する仁田家が
          館跡に居住している。


       <手記>
           仁田館は来光川沿いの平地の館で、「仁田館遺跡」として説明板が設置されています。
          現在も仁田家の居宅となっているので内部には入れませんが、慶音寺との境に北辺の
          土塁と堀がほぼ完存しています。他方で、館跡の南東半分ほどは来光川の堤防に呑み
          込まれて消滅しているようです。
           発掘調査の結果、後北条氏の築城術として知られる畝堀が検出された一方で、室町
          時代以前の遺物は発見されなかったということです。このことから、仁田館が安土桃山
          時代くらいまでは使用されていたことが分かる反面、本当に仁田忠常の居館跡なのか
          どうかについては、留保が必要となっているものと思われます。
           同様に、忠常以後の動向が不明な仁田氏についても、現当主には申し訳ありません
          が、出自に疑いがあるといわざるを得ないでしょう。

           
 仁田館跡説明板。
北辺の堀と土塁。 


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